━━━━━「ババヤ」のおばちゃんに捧ぐ━━━━━
                 
                 
「ババヤ」が空き地になった・・・・・

「ババヤ」跡地を初めて見た時、ボクの少年時代は終わった・・・・・


「ババヤ」は家から歩いてすぐの場所にあったボクの思い出の駄菓子屋。正式名称は他にあろう。が、代々地元の子供達に「ババヤ」の愛称が引き継がれていき、誰に教わったわけでもなし、物心ついた時おばちゃんはもうすでに「ババヤ」のおばちゃんだった。

初めて一人で買物したのも「ババヤ」だった。

友達と一緒に通うようになると、「ババヤ」は補給基地になった。誰かの家に行くにも、公園に行くにも、必ず経由は「ババヤ」であった。他校生との縄張り争いが勃発した際は本陣の役割すら果たした。
好きな駄菓子を食べながら聞くおばちゃんの話は、家・学校で教わる事とは異質で不思議な魅力を秘めていた。

雨にも負けず風にも負けず、100円玉を握りしめ。
冬にも夏の暑さにも負けず、駄菓子と話を貪った。


今でもはっきり覚えている。
おばちゃんが良く歌ってくれた軍歌はボクの裏十八番にもなった。


小学生高学年になる頃、世はバブル真っ最中。メガネのおっさん全てが成金に見えた。
多くの大人達は金銭的余裕を享受し、多くの子供達もまたその恩恵としてファミコンを与えられた。
バブルの異常な熱気はスーパーマリオやジャンプ黄金世代の名作漫画のアゲアゲな熱気に重なり、大人も子供も何事もコンティニューできると錯覚した。


地上げからのマンション建設ラッシュといったスーパーコンボbyバブルは昭和の面影と共に地域社会と住人達を丸ごと一本背負いした。
そして、新たなマンション住民を擁した地域社会は従来の住民同士の絆をコンティニューできなかった・・・


子供を通じてかろうじて地域を繋ぎとめる最前線に躍り出た駄菓子屋も、その重要性を認知されぬままバブルの余韻に飲み込まれていった。事実、バブル期の地上げラッシュで廃業を余儀なくされた駄菓子屋よりバブル崩壊後に人知れず無くなっていった駄菓子屋の方が多いと後に気づく。

「ババヤ」もそうだった・・・・

思春期に徐々に声変わりしていくが如く、中学入学以降徐々に「ババヤ」に足を向けなくなった。そこに然したる理由なんてなかった。

今にして見たら虫の知らせだったのかもしれない・・・

祖母・祖母・祖父と3年連続で大切な人を亡くした高校生になったボクが久しぶりに行った「ババヤ」。ただおばちゃんに会いたかった。元気でいて欲しかった。

駄菓子の種類が全盛期の半分くらいになっていて、少し白髪が増えたおばちゃん。
「久しぶり」と言ったボクへ向けたおばちゃんの笑顔と「ババヤ」のにおいだけは往時のままだった。

「近頃は子供も少なくてね・・・。遊ぶ場所も少なくなっちまって・・」おばちゃんの口から初めて愚痴を聞いたその日がおばちゃんに会った最後の日になった。

1ヶ月後、「ババヤ」は取り壊される事になる。
雑草が茫茫と生い茂る「ババヤ」無き後、その思い出深い場所で立ち尽くした17歳の冬。
ボクの永かった少年時代は本当に終わった。


今でも駄菓子屋を訪れる度、「ババヤ」のおばちゃんの事を思い出す。多分これからだって。ずっと。