私が駄菓子屋さんを巡り始めたのは2011年7月の事
当時はHP(ホームページ)はおろかSNSをやられている駄菓子屋の店主や好事家もほとんどおらず
Googleマップにもネット上にもその情報はほぼ皆無
では、駄菓子屋=絶滅危惧種(レッドデータ)扱いされていた時代、どのように探していたかというと『耳目を頼りに足で稼ぐ』アナログ方式ただ一択でした。
下町広しといえど隣の台東区・足立区と違い、荒川区には『おでん』を店内で提供する店やゲーム機をそろえた所謂『駄菓子屋ゲーセン』が多く残っていたのも特徴です
私が巡った駄菓子屋は
2011年以降の荒川区内に残っていた店に限られ、しかもすべて回りきれたわけではありませんが・・・
皆様からの情報も広く共有しながら、閉店した駄菓子屋の記憶を紡いでいけたらと思います
情報共有を広くお待ちしております
東日暮里エリア【久米商店】~思い出のおでんとゲーム~
創業=昭和40年(1965年)ごろ
閉店=平成29年(1917年)ごろ※不明確
継ぎ足し×2で深みを増した出汁と、おじちゃん・おばちゃんのぬくもりがトッピングの【おでん】
ネオジオやファイナルファイト時代は待ち人が半端なかったゲーム機多数・・
東日暮里で絶大な人気を誇った駄菓子屋【久米商店】
目の前に大きな公園(日暮里南公園)があり、近くには東京都立竹台高校もある為、
時間帯によって小学生⇔中学生⇔高校生が交じり合い、年少者にとって理不尽な力関係という社会人になれば当たり前すぎる社会の常識を学ぶことができた駄菓子屋
以下2016年・6月記事

東日暮里エリア【永峰商店】~土間の匂いと温もりが最高でした~
創業=1950年(昭和25年)ごろ
廃業=2015年(平成27年)ごろ
JR常磐線『三河島』駅~JR山手線『日暮里』駅の中間、高台にあたるエリア
公民館や公園、児童館なども近くにあり、いつも子供達で大賑わい
店内は伝統的日本家屋で、土間の何とも言えないいい匂いに包まれていました。
壁に沿うように駄菓子が配置され、中央にはテーブルと椅子が置かれ店内でイートイン可能でした
おばちゃんから、江戸川区上一色にあった桜加工所(ソースいか・味くらべのメーカー)廃業理由などを教えて頂いたことが今日の事に様に偲ばれます
火災により店舗が全焼・・・
多くの子供達に思い出という宝物を残しつつ、そのまま廃業されました
以下2012年8月記事

南千住エリア【串田商店】いつもサービスしてくれたね・・おばちゃん
創業=昭和35年(1960年)頃
廃業=平成30年(2018年)頃
店内は駄菓子ブースの横にグツグツに煮えたおでんがあり、おばちゃんに頼むとニッコリ笑顔で『あいよ』と手馴れた様にプラステックの皿にいれてくれました
1本=50円(なんでも)だったと記憶しています
『昔はこの辺り工場や銭湯も多くてね。風呂上がりに角の酒屋でビール買ってうちでおでんを買っていく人も多かったのよ』と、昭和40年~50年代の南千住の歴史を沢山話してくださいました
御家族と共に新居に移られた際、自慢の『おでん』を止め規模も縮小しながらしばらく駄菓子屋を続けられておりましたが・・・
人の温かを学ばせてもらった素敵な駄菓子屋さん
以下過去記事2015年4月

西尾久エリア『こどもの店 きくや』 駄菓子屋もんじゃで舌鼓!
創業=昭和40年(1970年)頃
廃業=平成30年(2018年)
区内唯一の区立遊園地である『あらかわ遊園』そばで、もんじゃの食べられる駄菓子屋さんとして愛され続けた名店です
地元っ子はもちろんの事、遊びに来た子供達のエナジーチャージ、引率(疲れ)のパパママさんにはビールを!
プレーンタイプ=350円
チーズ・ベーコン・たまご・カレーなどのトッピング入り=400円
やきそば=400円
と、時代とニーズを緩やかに受け流すスタイルと、『買った駄菓子をトッピング入れてもいいよ(笑)』と笑うおばちゃんの笑顔こそ最高のトッピングでした。
本当にありがとうございました
以下・過去記事2011年9月

東日暮里エリア『篠原商店』衝撃を受けたTHE・駄菓子屋スタイル
創業=昭和23年(1948年)
廃業=平成25年(2013年)
趣ある木造家屋、正面の『篠原商店』と書かれた文字の真横にコカ・コーラの看板鎮座!
それだけでもスカッと爽やかな気分になれるのに、アイスボックスとジュースボックスが店前でお出迎えしてくれる駄菓子屋
決して広いとは言えない店内は、いつ行っても子供達の笑顔にあふれる素敵な駄菓子屋でした。
駆け出しの頃に伺い、色々と話をしてくだったおじちゃん・おばちゃん。
本当にありがとうございました
過去記事が消去されてしまい、記事・画像共に残っておらず・・・悔やまれます


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