埼玉県川口市・栄町の駄菓子屋 ~守り続けてきた温もり 神山商店~

埼玉県川口市。

鋳物・溶接と言えば我らにお任せを!
まるでその身に溶かし込むかの様に鳩ヶ谷市を「平和裏」に溶接(合併)し、荒川を挟んで良好な都心へのアクセス・子育てに優しい環境が若い世代にうけ、県下NO2の人口約57万人(1位はさいたま市・約122万人)へと躍進、いたる所で行われた開発により少なくなった日光御成街道の風情やキューポラ(溶接炉)の代わりに、「キュポ・ラ」と言う名のシャレオツな駅前施設がそびえ立つ街。
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 (「キュポ・ラ」より撮影。駅前は下手な都内より都会的)
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 (今回はハイソな商店街「樹モール」そばの駄菓子屋物語)

今回御紹介します「神山商店」は、昭和初期に食玩全般を扱う駄菓子問屋として創業。
幾度かの苦難を乗り越え、今では川口っ子達にとって、なくてはならない駄菓子屋になりました!
その奇跡の軌跡をここに記します。
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 (店の入り口にかかる自動販売機。こういうのイイネ!)

食玩とは一言でいえば「おまけ」の事。
今なお続くブーム(様々なコレクターも多し)により世間の認知度もそこそこ。

駄菓子屋文化=おまけ文化(食玩文化)と言える訳ですが、いやいや以外、その歴史は相当古く、江戸期のいわゆる「富山の薬売り」と呼ばれる行商人達が顧客に名産品(おまけ)や各地の情報(付加価値)を付けて薬を売り歩いた事がルーツと言われています。(食玩 Wikipedia

驚きの日本近世史。
ファミコン全盛期に横行した抱き合わせ販売(人気ソフトに他のクソゲーをつけて販売)のルーツが「富山の薬売り」だったとは・・・勉強になりました。
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 (compactにまとめられ、選びやすい配置に脱帽)

前述した「幾度かの苦難」とは?
「一家の大黒柱の父が戦死してしまった事と、戦時下の配給制度で食玩等の規制(後に全ての生活用品に及ぶ)が厳しくなった事により、一度店をたたんだ」と言う、おばちゃん。

「幼い頃、相当苦労されたんですねぇ・・・」と筆者が言うと、「そんなことないわよ!日本中が同じ様な苦労したんじゃないのかな?」と、笑いながら話してくれました。

苦労した分、人に優しく明るく接することができるんだろうなぁ・・・と「神山商店」のおばちゃんを見ていてしみじみ思いました。
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(歴史の重みを感じるガラスケース。キレイに保たれていて感動)

戦争が終わり、しばらくしてから駄菓子・食玩・駄玩具の卸問屋として再スタートした「神山商店」。
バラ売りを開始して、徐々に駄菓子屋へとシフトして行ったそうです。

時が流れ、家を建て替えたときに、おばちゃんの頭の中に「もう駄菓子屋を辞めようか・・・」との考えが過ったとの事で、事実、少しの間休業していたとの事。

しかし近所の子供達の「このまま辞めないで欲しい」と言う想いと、おばちゃん自身が笑いながら言っている「ボケ防止にもなるしね(笑)」がMixされ、「神山商店」は三度甦ります。
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 (ラインナップが豊富な駄菓子。いいセンスしてるねぇ~)

復活した「神山商店」には、近隣に住む子供達はもちろんの事、幼き頃に通っていた父親世代や祖父母世代が子や孫を連れて駄菓子を買いに来るそうです。

「昔、悪ガキだった子がね。「パパが小さい頃、毎日ここに来てたんだよ」っと自分の子供に言いながら、ちゃんと「お父さん」している姿をみるとね、辞めないで続けて本当によかった。」と、おばちゃんは顔を崩しながら話してくれました。

苦難に会うたびに、それを乗り越えてきた「神山商店」。
子供達と店を優しく見守ってきたおばちゃんと、店を愛してきた子供達(かつての子供達も)が共に紡いできた温もりが店内に溢れていました!

「神山商店」アクセス。
JR京浜東北線「川口」駅 徒歩5分
埼玉高速鉄道「川口元郷」駅 徒歩7分
埼玉県川口市栄町2-2-4





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