東京都立川市・栄町の駄菓子屋 ~地域力の集大成 すぎうら~

東京都立川市。

都内の人口の1/3(約400万)を有する三多摩地方。
その中心的存在としての名に恥じず、米軍基地移転後(昭和52年、現横田基地へ)の駅前開発は凄まじく、近未来的なその様相にジュディ・オング級に魅せられますが、少し市内を歩けばDeepな下町情緒が顔をのぞかせる新旧サザンクロス恋唄な街。

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 (駅前の発展はジュディ・オング級。魅せられる事まちがいなし)

今回は、その立川市の北部がまだ北多摩群・砂川村と呼ばれていた時代に創業を開始した駄菓子屋「すぎうら」を御紹介します。
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 (温かな雰囲気の「すぎうら」。趣があって、良いね!)

「すぎうら」は昭和19年(終戦の1年前。西暦1944年)に「せんべえ屋」としてスタートしました。
人間にすれば古希まであとわずか。今年で69歳!!

「せんべえを店先で焼いていていたので、香ばしい匂いがいつもしていたのよ」と明るく笑う「すぎうら」のおばちゃん。今ではせんべえを焼いていませんが、老若男女問わず地域の人が集まってくるのは、おばちゃんの人柄がせんべえに塗る醤油の如く、地域に優しく染み込んでいるからなのでしょう。

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 (駄菓子・駄玩具・文房具・食料品なんでもござれ!)

子供達が入れ代わり立ち代わり「すぎうら」で駄菓子を選ぶ→おばちゃんと話す→各々の遊び場へと走り去る・・・何度かこのサイクルを繰り返すと、ある初老の女性が入って来て「うちの孫来なかった?」とおばちゃんに聞いていました。
「今日はまだ来てないよ」とおばちゃんが答えるやいなや、彼女は「すわ」とばかりに「じゃあ、まだあの公園かぁ」と踵を返し店を後にしていました。

元々、駄菓子屋は子供の直接的遊び場となるケースよりも、間接的な「中継地点」として役割を果たすことが多かったものです。「中継地点」を当たれば、子供がどこに向かったか?あるいはまだあの辺りか?ある程度は判別できるという優れもの。恐るべし、栄町の地域力。

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 (やっぱり人気断トツトップはAKBだって・・・すごいだね)

せんべえ屋→学童品・文房具を経て、現在の文具・駄菓子屋スタイルと時代に合わせて変化していった「すぎうら」。
その時代とは、終戦→米軍の進駐(旧立川飛行場は敗戦後、米軍基地に)→(砂川事件 WIK)→立川市と合併→米軍撤退という「激動、多摩地方の昭和史」そのものと重なります。

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 (駄菓子・駄玩具と優しいおばちゃん。3点セットが重要)

「すぎうら」のおばちゃんと話している内に常連さん(すぎうら歴40年強の兵)が来店し、駄菓子屋盛衰記や、旧砂川町の歴史・米軍が居座っている時代の「生の感想」など貴重な話を聞かせてくれました。

駄菓子屋を廻っていると時にこうして地元の人を交えた話に発展するケースがあります。駄菓子屋文化の柱の一つである地域力。「すぎうら」が育んできてくれたものです。大事にしたいものですね!


「すぎうら」アクセス
多摩モノレール「立飛」徒歩5分
東京都立川市栄町4ー28ー5

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