埼玉県・川越市
肥沃な武蔵野台地の北端
荒川と入間川が合流する地理的・戦略的なアドバンテージに着目し、河越城(川越城)をぶっ建てた稀代の名将大田道灌公の慧眼はゴイス〜なり
戦国期には、日本三大夜戦【河越夜戦】でお馴染み、上杉家⇔北条家が関東の覇をかけ激戦を繰り広げ
江戸期には、知恵伊豆松平信綱公や老中柳沢吉保公などの大物が配置され、北への備えはバッチグー!
飢饉の際に民衆を救ったサツマイモを良質な味に改良し
武蔵野育ちの小麦から川越そうめんを考案し
入間川の鰻や狭山茶、漬物、豆腐、蒟蒻などの名物に合わせ、桐箪笥や唐桟などの工芸品を新河岸川の船運を活かし江戸へフルスロットルしたってんだから、その町衆パワーに江戸っ子達も真っ青ですよ‥
御三家・水戸に次ぐ関東第二の城下町として、士農工商それぞれの面から江戸をサポート!
格式と伝統をも備え繁栄する様を世人曰く、小江戸・川越は江戸の台所なり!と。
(川越を制する者は関東を制す!本丸御殿が現存する貴重な川越城)
※写真ACより
川越(駅)・川越市(駅)・本川越(駅)
喜多院・初雁・蔵の街
ぜひとも行きたい、ユネスコ無形文化遺産の川越まつり
ぜひラウンドしたい、名門・霞ヶ関カントリークラブ
ぜひとも歩きたい、川越一番街商店街・菓子屋横丁で食べ歩き・飲み歩き・・
など、アクセス良好な上に見処・遊び処・食い処がいっぱい!
①中世の豪族・河越氏から来た説
②川(河)を越える立地だったから説
③川(河)の氾濫で肥沃≒川(河)肥から来た説
川越市民さん、あなたの推しはどれですか??
諸説ある市名の由来に揺れる、人口県下No3の約35万4000人
俳優・市村正親さんやNumber-iの岸優太さんなど、数多なタレント達を輩出続ける街
(数回の大火から立ち上がった川越の町衆。蔵は火除けにも効果大!)
※写真ACより
今回ご紹介するのは
問屋兼駄菓子屋として、川越の今昔を見つめ続けている素敵なお店です
所在地は川越の中心街からほど近く、
国道15号線(川越日高線)沿いで駐車場も完備している為、車で買い付けに来る大口さんにも対応可能!
もちろん、小口の一見さんや観光客の皆さんも大歓迎ですぞ
黄色い看板に柔らかな平仮名表記で店名が書かれ、赤のガチャガチャとのコントラストの美しさが遠目からでも良く目立つんですよね~
おっと
店名を言っておりませんでしたね(笑)
昭和28年(1953年)創業、【駄菓子・玩具問屋あらい】さんです
※以下・あらい
(看板の文字が素敵すぎて、Zokkon 命 LOVEですよ・・ぞっこん!)
(2代目御夫婦からのおねがい!この絵もファンシーで素敵ですやん!)
筆者が訪れたのは、ある冬の日のお昼時のこと
入口に置かれた赤きガチャガチャ群の横に貼られる
【店主からのおねがい】に描かれた御夫婦のかわいさに一気に心をもっていかれながら入店しました(笑)
店内には、祖母⇔ママ⇔娘ちゃんの3世代の観光客親子(東海エリアの車ナンバー)がテンション高めに駄菓子・玩具を選んでいるところでして
(BTSシールを発見した時のテンションはすごかった!!)
買い物の邪魔にならぬ様に少し離れた位置に立ち、親子からの質疑に優しく応答+駄菓子の選定補助をされていた新井淳子さん。
2代目にあたる御主人・賀津雄さんと共に駄菓子問屋としてキャリアを積み、時代の流れに即し店内で小売(バラ売り)を同時展開したのが今から約30年前のこと
今や駄菓子業界のみならず、小江戸・川越を盛り上げるなくてはならない存在になっています!
それにしても、入口の絵に相当似てますね。
誰が書いたんだろう??センスあるな~
(島式の駄菓子ブースにはありとあらゆる駄菓子がお待ちかね!楽しいね〜)
(当てもの系も充実のラインナップ!当たりは買ったお店で交換すること)
『主人は今留守なので、私一人でバタバタしててご
めんなさい
息子(後述)のお知り合いの方ですか~!
いつもお世話になっております
え?
(台東区の)蔵前の御出身??
コモリヤさんも知ってるなんてスゴイわね
(笑)』
小・中学生はまだ学校で勉強中の時間ながら、近隣の駄菓子屋さんやイベント用に買付に来るお客さんが次から次へと訪れる【あらい】
その忙しい中、駄菓子好きのオジサン(筆者)の相手も同時にこなしてくれるなんて‥‥
さすがは、問屋⇔小売の二刀流で培った対応力の賜物といったところでしょうか!
筆者も淳子さんに倣い、
商品を選ぶお客さんの邪魔にならぬ様に店舗奥のスペースでお話を聞かせて頂きました
(店舗奥に広がる箱売りスペース!その量は圧巻の極み)
因みにコモリヤとは、筆者の地元である台東区蔵前にある菓子玩具卸(問屋)=㈱小森屋商店のこと※以下コモリヤ
その名を小江戸で聞けるなんて・・ヒデキ、感激でしたよ(笑)
そもそも、あらい⇔コモリヤ、ひいては蔵前との関係はどのような経緯だったのでしょうか?
『先代(初代)のキャリアは戦前、蔵前のコモリヤ
で丁稚奉公した事が始まりでした
(攻略が難しかった)東北の顧客を大卸として開
拓したりと、気骨のある人でしたが、元々子供達
が大好きだったのでしょうね
自費で購入した箱買い駄菓子を近所の子供達に配
ったりと随分可愛がってたみたいです。
子供達からも慕われていて、感謝が綴られた手紙
なんかをたくさん貰った!と言ってました
そうした御縁もあって
今でも『コモリヤ』さんや錦糸町の『ミサキ』さ
んから仕入れてます。』
戦後の焼け野原、皆が生きるのに必死だった時代
『駄菓子の兄ちゃん』として、ガッツリ少年時代の団塊世代達のハートを掴んだ先代は、蔵前の奉公先を出て川越の地で独立!
若干24歳の事でした(これはスゴイ)
そこからの道は決してバラ色だったわけではなく、当初は御苦労の連続だったそうです・・
この辺りは↑【あらいの歴史】を要チェック!!
現在は他業界で活躍中!
【あらい】の広報として業界の活きた情報を広く発信されている御子息プレゼンツのHPが秀逸な件(SNS含む)
店の歴史はもちろん
戦争前後の貴重な写真も掲載されており、かな〜り貴重なレポート多数ですので、駄菓子関係者の方には御一読をおススメします。
(川越銘菓や袋詰め駄菓子、ハンドメード品もある豪華ラインナップ)
(今度のトッポはあっさり味!と在りし日の長瀬くん。お面とポスターに囲まれて‥)
店内に目を戻すと
入口付近には駄菓子屋コーナー(小売)があり、駄玩具コーナー(小売)も設置。
壁にはお面がこちらを見据え、ブタメンクッション・クッピーラムネぬいぐるみなど購入可能な駄菓子キャラの小物達が旅情をくすぐりつつ、どっしり鎮座!
おっ?
銘菓やハンドメード品、袋詰めの駄菓子まであるのか〜と感心していると‥
『このハンドメード品は近所の人達の作品で、購入分をお支払いするシステムです
袋詰めは
お祭り・イベント・送別会・結婚式の2次会用など
要望や金額に応じて手作業でつくってます。
大変だけどね~
子供達も喜んでくれるから(笑) 』
※【あらい】HPより
まさに
売って良し・買って良し・世間良しの三方良しスタイル
先代が蔵前で開花させたスタイルを、2代目夫婦は川越の地で地域社会の【Win⇔Win関係】へと昇華させました。すご〜い!
そして
その様子を優しく見守る様に貼られる、今や新体制【スマイルアップ】となった旧ジャニーズ系の人気タレント(渦中の人含む)達のポスターを見て、時の流れの悲喜交交に一気に胸キュン!
皆さんもわかりますでしょ?この気持ち(笑)
(欲しい銘柄・ジャンルがあればお気軽に問い合わせを!と若き日の中居くんが言っている気がした)
(ブタメンクッション渋いな〜!こういうのに囲まれて余生を過ごしたい)
『昔は本当に駄菓子屋多かったんですけどね・・
この辺りも
うちが小売りをやり始める少し前位から、少しず
つ駄菓子屋が減ってきちゃって
つい最近も、すごく仲が良い駄菓子屋店主(おば
ちゃん)に御不幸があって・・
すごく寂しいけど、こうして店に来てくれる人達
が沢山いるから気が紛れて助かってます。
また遊びに来てくださいね!』
出会いがあれば別れがある・・
長く川越の駄菓子文化と寄り添ってきた【あらい】は、仲間の問屋、メーカー、そして駄菓子屋(店も人も)との出会い⇔別れを間近で経験されてきたでしょう
帰りがけの淳子さんの御言葉に、何とも言えない温かさを感じて深く感じいった次第です。
関東大震災後
被災した東京の菓子屋(今風にいうと駄菓子メーカー)の穴を埋め、代役以上に大活躍した菓子屋横丁の心意気が色濃く残る街・川越の生き字引【あらい】
皆様も遊び(学び)にいかれてはいかがでしょか?
【駄菓子・玩具問屋 あらい】アクセス
住所・埼玉県川越市六軒町1-16-11
TEL・049-222-1765
定休日・日曜日
営業時間・9:00~18:00
(HP)
(X)
(Instagram)
埼玉県川越市・六軒町の【あらい】 〜小江戸の駄菓子文化を支える駄菓子・玩具問屋〜
川越市 駄菓子屋

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