埼玉県児玉郡・上里町
昭和29年(1954年)、神保原村⇔賀美村⇔七本木村⇔長旗村の4か村が合併して誕生、県内最北(上)の地に位置する事がその名のルーツ。
古くから米・小麦などの耕作が進み、鎌倉幕府の屋台骨を支えた質実剛健な坂東武者達(武蔵武士)を生み出した土壌は、群馬県との県境を流れる豊かな神流川・烏川の恵みの賜物なり。
【食を通じて旅の想いを紡ぐ里】
さすがは、埼玉⇔群馬⇔長野⇔新潟を結ぶ交通の要所よ。掲げしコンセプト通り、食堂やショップは充実のラインナップを誇り、一般道から入場可能な関越自動車道【上里サービスエリア】は、ぜひ遊びに行かれたし。

(一般道からも入場可能。スマートインターもあるので観光に便利!)
ゆるキャラ【こむぎっち】が見守る町内に人口約3万人。
日本の女性パイロットの草分け的存在である、同地出身の西崎キクさんも眺めたことであろう‥
遥かな聳える上州三山をバックに染まる、夕焼け空がとても美しい町。

(JR高崎線【神保原駅】より眺める夕日の美し。遥かなる上州の山々よ・・)
今回は、上野(東京)を起点に⇔大宮(埼玉)⇔高崎(群馬)を駆け抜けるJR高崎線の『神保原』駅すぐ近くで、半世紀以上前に創業。
神保原周辺で育った、各世代の子供達に愛され続ける駄菓子屋【和田山トーイ】を紹介します。
(駅から歩けば、すぐに見えてくる【和田山トーイ】。)
(かつては大きな看板が・・・ 今でも往年の痕跡な残る。)
「昔は店内に鉄板を置いていて、もんじゃ焼けるスペースがあったんですよ。
そうそう、たい焼き機もありましてね。たい焼きも店頭で販売していました!」
遠く上州の山々が美しく朱に染まる‥
筆者が訪れたのは、そんなある晩秋の夕暮れ時の事でした。
店の歴史から、神保原周辺の移り変わり、ご自身の健康の秘訣まで。
多岐にわたり色々と教えてくださったのは、御年90歳(令和4年秋現在)になるおじちゃん。
【和田山トーイ】の2代目で、御年85歳(同上)のおばちゃんと二人三脚で店を守っています。
因みに健康の秘訣は【グランドゴルフ】。
「基本は8ホールで終わりのゲームなのですが、調子がいいと32ホールやる時もあります」と、おじちゃん。
それはお元気なはずだ(笑)!
(駄菓子の他にも、おもちゃ・くじ・文具などが置かれる店内)
(野村トーイ『モグモグドッカン』などの箱もあって、見ててワクワク増産中)
初代(おじちゃんのお母さん)の跡を継ぎ、現おばちゃんが店に入ると、文房具の他におもちゃやアーケードゲーム機を置き、徐々に駄菓子のラインナップが増えていったという【和田山トーイ】。
放課後には、地元の子供達や親子連れに加え、ご近所さん達もご夫婦とお話しに店にやってきます。
「この辺りも変わりました。
駅から続くこの道は、一帯が商店でしたし、子供の数は、今より全然多かったです。
私の同級生達も、この辺りに100人はいましたがね‥
寂しいことに徐々に少なくなってきてますよ‥
駄菓子屋自体も近隣に少なくなったせいか、お腹を空かせた中・高生達も少し遠くから(自転車に乗って)来てくれますからね。
よほど何かの用事がない限り、午後〜夕方まで店を開けるようにしています。」
定休日=不定休。
神保原のお腹を空かせたボーイ達の為に、やかんの中にはお湯がスタンバイ中、トーイ全体が柔らかな温もりに満ちていますね。

(奥に座るおじちゃん・おばちゃんと、やかんのコントラストが素敵です)

(万引はやめよう。心を引き裂く行為だからね。)
かつては養蚕組合の技術指導員を。
定年退職後には本庄の高校、そして上里の保育園でバスの運転手などを経験されてきたおじちゃん。
神保原周辺はもとより、近隣エリアの今昔物語を色々と教えてもらいましたが、これがとても面白く、勉強になりました。
駄菓子を買おうとしたら「ハイ、これ使って(笑)」と渡されたのは、関東名物【さくら大根】の空きケース。
くじ系駄菓子の【月給袋】の紙に手計算してくださり、駄菓子屋店内で見事な地産地消が行われているのは圧巻です!
「コロナで大変な日々が続きますが、子供達が遊びに来てくれるのでね。みんなから元気をもらい、妻と二人三脚で店を続けて行きたいですね。」
ニッコリする、
背筋がピンとしていて、とても90歳とは思えぬ若々しい御姿。
運動不足の我が身を省みて、「グランドゴルフ、やってみようかな〜」と密かに思った事は言及の必要ないですよね(笑)
皆さんも神保原に訪れた際は、【和田山トーイ】に遊びに行かれてはいかがでしょう!

【和田山トーイ】アクセス
埼玉県児玉郡上里町神保原町268-3
営業時間
平日14:00〜18:00(冬期は17:00)
土日11:00〜18:00(冬季は17:00)
※不定休


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