三重県津市が生んだ、日本人の国民食ともいえる㈱おやつカンパニー『ベビースター』。

味の進化・拡がりを重ね、今まで何種類世にでてきたか?
筆者には到底わかりませぬが、そのうちの一つ『ベビースターもんじゃ』が下町スピリッツに忠実で素晴らしすぎましてね。

気づいたら幼少期に食べた駄菓子屋もんじゃの記憶が蘇り、『ベビースターもんじゃ』と全く関係ない筆者自身の思い出話になってしまっている『東京青春もんじゃ焼き物語』の続編。

※題名の元ネタは筆者の大ファンである長渕剛さんの『東京青春朝焼物語』より
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(おやつどころか主食にも副食にもなれる究極っぷり。やはり、あんさん駄菓子界のスターや!)

PART1のあらすじ
生まれ育った町である東京下町・台東区浅草。

その南側、いわゆる雷門・駒形・寿エリアで育った昭和53年生まれの筆者達の代では、縄張り内の駄菓子屋には鉄板は置かれておらず、「もんじゃ焼き」はハレの日に家族で店に食べに行くものであった‥

『Sちゃん』と言うもつ煮込み屋の倅・Tと言う同級生の「墨田区には、駄菓子屋店内に鉄板があり、もんじゃが食べられる」と言う情報に、燃えに燃えた心の小宇宙(コスモ)。
数人の自称・勇者達は国境ラインである隅田川を自転車で強行突破し、店へとなだれ込んだのである‥
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(墨田区と台東区の間を流れる春のうららの隅田川。両区の絆よ永遠に)

『本編開始』

その駄菓子屋は、隅田川に掛かる駒形橋・厩橋のほとりに広がるエリア、墨田区東駒形にあった「よこた」。

通りから生活路地を入った奥にあり、そんなに広くない店内のど真ん中に鉄板が一つ鎮座、周囲を駄菓子が取り囲むという、『おばあちゃんの家』的雰囲気のする温かいお店でした。

100円もんじゃ(100円払うと小麦粉と少々の野菜が出てくる、いわゆる文字焼き)がクローズアップされる事が多いですが、『よこた』のもんじゃは超デラックス。

細かく設定はあったのでしょうが、数人でお金を出し合い、1000円〜(5人なら1人200円)みたいな頼み方でしたが、腹を空かせて行っても、いつもお腹一杯になっていたので、かなりのボリュームだったのでしょうなぁ〜。

銀のボールに、桜エビ・魚肉ソーセージ・キャベツなどがギッシリと詰まっており、水気が少なく、バッチ濃い(コイ)なソースの味付けに、小学生だった筆者、一発で『よこたに首ったけ』状態に・・・
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(何でもあり。それが『文字焼き』由来のもんじゃの真骨頂なり。ベビースターもんじゃ素敵です)

それから何度も通い、おばちゃんとも仲良くなってきた或る日。

友達「ちき(←筆者のあだ名)達が行ってる駄菓子屋もんじゃってどんな感じなの?」

僕「鉄板が真ん中に置いてあってさ。大きいボールに食べ切れない程のもんじゃが入ってるのよ。マジで美味しいし!焼き方プロってるよ、すでに俺。おばちゃんとも仲いいし。今から行ってみる?」

と、イキりにイキって友達を引き連れて『よこた』に行った時、事件は起こるのです。
よく一緒に行っていたメンバー(強き男達)が不在で、「今日ケンカ売られたらヤバいな‥」と言う不安も、仲間の前で「ええカッコシイ」できる甘美な魅力には勝てず、ノープランで『よこた』へと向かった当時の僕に乾杯+完敗の予感(笑)

そこで。
若干11歳ながら聞く事になるのです。

諸行無常の響きを奏でる祇園精舎の鐘の音とやらを・・・
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(群馬県伊勢崎市の『サっちゃんち』。伊勢崎もんじゃと名物女将サッちゃんが魅力)
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(今なお駄菓子屋もんじゃが食べられる人達は幸せである。『サッちゃんち』の伊勢崎もんじゃ)

余談ですが。
筆者が通っていた小学校では、音楽の授業の一環で『はだしのゲン』を見るのですが、その影響が強烈過ぎて、僕らの代では近隣のおばあちゃん・おじいちゃんに戦争の話を聴く事が流行っておりました。

戦争の話をしていると、いつしか御自分の好きな「軍歌」を歌ってしまう方が多かったのですが、『よこた』のおばちゃんが歌う軍歌は『轟く筒音飛び散る弾丸〜』で始まる日露戦争時の軍神『広瀬中佐』でした。
杉野はいずこ〜。杉野はいずや〜。

当時おいくつだったのか?
今となっては推測の域を出ませんが、当時は太平洋戦争ではなく日露戦争時代(1904年~1905年)を知っていらっしゃる方も多くご存命でしたので、おばちゃんもその時代の生き証人だったのかもしれません。

土手つくる派と土手つくらない派。
圧倒的なソース派の影でスキルを磨き続ける少数精鋭醤油派。
カレー粉(辛)・イチゴシロップ(甘)、酸いも甘いもブチ込む人生いろいろ島倉千代子さん的な『伊勢崎もんじゃ』など。

もんじゃにスタンダードは存在しない事、筆者が今更言う必要もありません。

そして、そのもんじゃ同様、駄菓子屋にも一軒一軒に独自のルールがあり、その殆どの場合は不文律で代々その店の子供達に受け継がれていく『地元の掟』が存在している可能性が極めて大きいのです。

「郷に入りては郷に従え」

日本各地にあった郷=村落の事で、その村々には独自の『村掟』が存在した事を如実に表す諺。

これは郷を駄菓子屋に入れ替えても、遜色なく通じる事でしょう・・
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(群馬県伊勢崎市『しんちゃんち』。こちらにも美味しい伊勢崎もんじゃがある)
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(質実剛健なもんじゃ。味付けもその店独自のSpiceがある!)

そのような事、つゆにもわからなかった当時。まあ、当然と言っちゃ当然ですが・・

もんじゃを食べても『よこた』店内で寛いだまま店を出ようとしない僕らに対し、店の外。
ドア越しから向けられる鋭い眼光。

実はこの眼光‥
この日が2回目でした。

そして‥

扉の外より聞こえた「アイツラか?食べ終わってるのに帰らねえ奴らってよ。バトルスカウター※振り切れちゃいそうだわ、今の俺の戦闘力。やっちまうか?」との声。

まだ声変わり前の僕らをよそに、変声期を乗り越えた墨田区サイドの少年の一言に緊張感というより、パニックに陥る台東区サイド、店の中の懲りない面々‥

ちなみに、バトルスカウターが振り切れそうとは、当時大人気だった『ドラゴンボールZ』のサイヤ人編より登場した戦闘力を測る装置『バトルスカウター』が、攻撃力上昇に伴い測定不能状態になり『ボンッ』と音を立ててぶち壊れる事を指します。

とにかくブチ切れている状態ですね‥

お会計はとっくの昔に支払い済み。
しかし、すぐにでるか?様子見を決め込むか?どうすんのどうすんの??状態で慌てふためいている僕らとは対象的に、落ち着き普段と変わらぬ感じで佇むおばちゃん。

それもそうでしょう。
海水と真水が混じり合う汽水湖が如く、複数の学区域が交差する店内で起こる子供同士のいざこざなど日常茶飯事。
数多の世代で似たような揉め事があったのでしょうから‥

それでも駄菓子屋が駄菓子屋然としているのは前述の通り、店が主導のケース含め子供達同士が未然にトラブルや嫌な思いを回避する為に辿り着いた『不文律の掟』が存在しているからなのです。

台東区民の僕らに敵対意識バリバリロックンロールだった墨田区の地元少年達だって、筆者らが余所者だから口撃してきたわけではなく、あくまでも『よこた』のルールを反していたから好戦的になっていたに過ぎないのでしたから。
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『サッちゃんち』店内。メニューと共に注意書きも。これ以外にも掟はあるのです)

おばちゃんに迷惑かけるわけにはいかない‥
俺も男だ、どんと行け!

心の中でそう思うと、ビビる仲間達に「大したことねーよ、あんな奴ら」と口先だけの強がりを言ってみせ、泣きそうになりながらも先頭に立って店を出ると、予想より遥かに多い7〜8人の地元少年達がお待ちかね‥

「ここじゃ、『よこもん』に迷惑かけちまうから。ちょっと、ツラ貸してくんねーか」

そう言われてついて行った、いや、行かざるを得なかった公園での事。

「チャリ(自転車)みたけどよ。お前ら、『川むこう』の奴らか?」

川むこう‥

隅田川を挟んだ両区。
(台東区民は墨田区を、墨田区民は台東区をそう呼ぶ事がありますが、幾分差別的意味を含むので、外では使わない様に‥)
と言われていた用語を軽々放り投げてくる少年達。
たじろぐ僕らを一瞥し、さらに続けます。

「こっちはずっと待っとるのに、食い終わってなぜすぐどかねーの?この前もそうやったらしいな?食べ終わったら、だれか待ってないかどうか、確認しろやコラ。なんだよその目?やんのかコラ。お〜?おまいら。根性見せてあの世行くか〜?あ〜ん?」

後に一つ年上の小学6年生とわかるのですが、『城東のテル』的な口上を述べた角刈り(坊主頭)でガタイの良い少年(以下・角刈り君)を見た時、「高校生か??この人‥」と思うほど威圧感でした‥
(『BE-BOP-HISCOOL』は不朽の名作。城東工業NO1・山田敏光とNO2藤本輝夫(テル)の掛け合いはお見事。)

「多数とやり合う時は、あいての頭(リーダー)を狙え!」

テレビでみたか?
親父と風呂に入ってるときに聞いたか?
不良マンガで読んだか?

それすらも覚えてませんが、とにかく頭とやり合うしかない!と思いながらも、
彼等の猛烈なパッションスタンピートに足はガクガクで、返す言葉も生まれたての草食動物がごとく、プルプル震えながら発せられる状態でございやした・・・
あれじゃ、勝つどころかやり合う事も出来んって(笑)

今にして思えば、相手だって東京下町ボーイズのくせに関西弁(+広島弁)を使っていたのは、その少年らが僕ら同様『BE-BOP HISCHOOL』や『ろくでなしBLUES』に影響を受けまくっており、相手を威嚇するにはもってこいのクンロクだったからに相違ありません。
事実、かなり『城東のテル』っぽい言い方してましたしね(笑)

それでもその効果は絶大で、親・学校の先生から受けてきた注意(愛の鞭)はもちろんのこと、近所のカミナリオヤジから受けた怒りの咆哮とも次元が違う、ただの『恐怖感』に打ちひしがれ、何故か知りませんが幼稚園の頃に行った『東京サマーランド』の記憶が、山口百恵さんバリにプレイバック。
「これが走馬灯か‥」と幼心に思ったほど、窮地に立たされたのでした‥
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(木と鉄板が織りなすハーモニーは不変のオイニー。最高だよね〜)

T=体が大きくケンカも強いガキ大将
G=物知りで機転が利くクラスNO1の色男

よりによって、いつも『よこた』に一緒に行っていた我が校が誇る関羽雲長・諸葛亮孔明が、少年野球の練習で不在の時の出来事でしてね。

その日のこちら側の戦力。

S=『バブルの申し子』と謳われた、運動嫌いなぽっちゃり系ゲーマー。金持ちの倅。
(戦闘力たったの5か‥ゴミめ‥)

R=雨の日も風の日も雪の日も台風の日も、365日1日も欠かさず眉毛がつながっていた男
(戦闘力たったの5か‥ゴミめ‥)

N=『午後の紅茶』ミルクティ味を水代わりに飲み続け、気づけばKing ofぽっちゃり系。背は小さくも体重はトップクラス。
(戦闘力たったの5か‥ゴミめ‥)

そして、口だけが達者な超小物・ぼく土橋を含め、計4人の戦闘力たったの5のシャバ僧達。
戦力不足は否めない‥

先述の『ドラゴンボールZ』で例をあげてみると。

墨田区の少年達⇒

地球を強襲してきたサイヤ人達(ベジータ・ナッパ+栽培マン6匹)

台東区の少年達⇒
悟空(G)・ピッコロ(T)不在。
Z戦士最弱の男・チャオズ(僕)の元に集いし、桃白白・チャパ王・メタリック軍曹の3人。か、勝てるわけねー!

天さん・クリリン・ヤムチャ様、ヤジロベー。
誰でもいいから、助っ人に来てくれ〜!!

当時、第三者がこの光景を見てたら、辺り一面に漂う敗北感、ものすごかったろうな〜(笑)

Nに至っては、昔のアニメ(マンガ)に出てくる骸骨が音を立ててカタカタしゃべる時みたいに、縦揺れしながら震えちゃってたし‥

「もう駄目だ・・どうする?どうする‥」と思った時に救いの声が相手側から上がったのでした‥
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(都内にはもんじゃが食べられる駄菓子屋が数軒ある。東京都足立区・竹ノ塚にある『駄菓子げん』もその一つ)

遠い記憶ですが、今でもハッキリ覚えている、その救世主の姿。
半ズボン率が多かった墨田区サイドの少年達の中で、髪が長く中分けで、ジーンズを爽やかに着こなし、城みちるさんの如くイルカに乗っ‥、もとい、スケボーに乗った少年(以下・イルカ君)が「まあまあ」みたいな感じで僕らの前に颯爽と登場。

「よっと。別にこの子達、上等こいてる訳じゃなさそうだし。許してやろうよ。っていうか、何年?次からは待ってる人がいたら早く出ていけよ(笑)あと、割込とか順番譲ったりとかそういうのも無しだから。」

威嚇的な角刈り君とは対象的に、優しい口調から繰り出される「次はねえよ。わかってるよね?」と言う見事な口上に魅せられた台東区サイドの少年達。
素直に敗北を認め、『うん。うん。』と頭を何度か大きく垂れる他ありませんでした‥(笑)

圧倒的な恐怖感からの解放・・・

しかしそれは決して喜ばしい事ではなく、帰りの隅田川を渡る際に聞いた『5時の鐘(チャイム』の無機質なメロディが、僕には敗北の音として心に刻まれてしまうのでした・・・

そして・・・
その日僕らは

①待ち人あればすぐに食べて店を出るべし。
②割込御法度。順番を譲る事も御法度なり

という、地元の駄菓子屋『思い出の駄菓子屋 駒形・ババヤ』とは全く違う二つの掟と、人生何が起こるか分からないってこと、イキって調子こくととんでもない事態を巻き起こす事など、本当に多くの事を学ばせてもらいました。
不様な姿を友達に見せて悔しかったけどね(笑)
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(街並みも人も変わっていく・・・かつて『よこた』があった付近でそう思ふ)

イルカ君・角刈り君をはじめ、『よこた』でもめた、隅田川沿いS52世代の皆さん。

あの日あの時あの場所で君(ら)に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま。。。って何を言わすんや、ボンタン狩るぞ~(笑)。
冗談です。
皆さんとのやり合いを通じ、駄菓子屋には独自のルール(掟)が存在するってことも、自分達だけが主役ではない!ってことを教わりました。

あの件以降、何度も『よこた』に通いました。
怖いもの見たさ?(笑)で皆さんに会いたかったんですけどね。
とうとう今の今までお会いすることがなく、時だけが過ぎ去ってしまいました・・・

僕ら同様、皆さんも地元の友達と集まって酒を飲む機会に、おらが駄菓子屋である『よこた』・『よこもん』の話をしている事でしょう。
その際に「そういえば、台東区の奴らと揉めたよな~。アイツラなにしてっかな〜?」なんて話も出ているかもしれません(笑)

みな(多分)元気でやってますYO

震えながらも角刈り君とやり取りしていた紅顔の少年は、成長して後に、皆さんとの決闘記を駄菓子屋もんじゃの記憶と絡めて、記事にする様なオッサンになりました(笑)

どこかでお会いすることがあったら、その時はよろしくメカドックです!

エピローグ

東駒形で愛され続けた駄菓子屋『よこた』。
おばちゃんも他界され、お店も遠き日の記憶となってしまいました‥

しかし・・・

その具材・その味・その器、そしてその志は息子さんへと継承され、昭和⇒平成そして令和の時代を『もんじゃ焼き よこた』として輝き続けています。

墨田区を始め、東京下町の古き良き文化である駄菓子屋もんじゃの灯火は、諸行無常の想いを乗せて、今日も燃え続けているのです‥