人口約270万の大阪市を抑え、市町村の中では日本NO1の人口約370万を擁し、東京23区に迫る18区の行政区を誇る湾岸都市横浜の1区・中区は、国内外の観光客が思い描くイメージ通りのヨコハマ(+西区でパーペキです!)。
待ち合わせ場所いつもの、桜木町に君はもう来ない・・・・(ゆず「桜木町」より)
幕末と、変わらぬ凪の、水時雨。
史跡や博物館が多い関内・馬車道・みなとみらい地区で文明開化に思いをよせて、ハレの日には「横浜中華街」で外食!
本牧・山手のお嬢様方、元町・新山下・伊勢佐木町でしっぽりデートはいかが?
浜風に洗練された区域に人口約15万人が居住し、新横浜地区と共に横浜2大都心(ツインコア)に数えられる恋人も濡れるシャレオツな街角。
(今回はJR山手駅すぐそば。大和町商栄会の駄菓子屋物語!!)
(長崎とまでは行かないが、坂や階段が多い横浜の町並み!)
今回紹介する駄菓子屋は昭和23年(1948年)創業。
JR根岸線の「山手駅」そばにあり、歴々の山手っ子達から「おふじさん」とか「おふじ」と親しみを込めて呼ばれ続けている駄菓子屋「高村富二商店」です。※以下「おふじ」
(地元では知らぬ人のいない有名店「おふじ」。いいね~)
戦後すぐの創業当時。
それは、駅より続く「大和町商栄会」がまだ産声を上げていなく、店自体も少なかった時代。
食料品を筆頭に、駄菓子・文房具・玩具などを扱うお店だった「おふじ」は、地域の、とりわけ子供達の社交場・オアシスとして一大人気スポットとなり、そのニックネームと共に店への限りない愛情は子世代から孫世代へと、地域の中で脈々と受け継がれています!!
そうそう。
「おふじ」とは、先代(初代)のおばちゃんの名前からつけられたニックネーム!
誰が呼び始めたかはわかりませんが、いいですね~
子供達を愛し、子供達に愛された先代が築いた土台。
それを大切に温め、発展させてきた2代目のおばちゃん・おじちゃんと子供達(かつての子供含む)。
それらがMixされ、「おふじ」店内に充満する優しい温もりは創られているのでしょう。
(広い店内。キレイに陳列されている駄菓子を見てるだけでウットリ!)
(アイスやジュースも充実のラインナップ!子供も大人もひっきりなし!)
おばちゃんに色々な話を聞かせてもらいました。
戦争の事、市電しか通っていなかった頃の歴史、駄菓子・駄玩具の変化や、子供達の事など。
その最中、毎日の様に訪れる腕白盛りの子供達を筆頭に、かつては駄菓子・今はタバコを買いに来る常連さんや、初々しい母子に、部活帰りの中学生達など、ひっきりなしに店内に入っては買い物をしていくお客さん達。
皆、それぞれがおばちゃんと会話して、「またね~」と言いながら店を出ていく・・・・・
そんな姿がとても印象的でした。
(大人だってかつては「子供」だったよね!それを思い出すね~)
(ガンプラ・ミニ四駆も完備!掘り出し物が見つかるかもね!)
「毎日来てくれる子供達。それと、私が嫁いでくる前からここの常連だった子、と言っても今じゃおじいちゃんだけど(笑)も来てくれるし、進学・就職や結婚で引っ越していって、今遠くに住んでる子がたまにヒョイと顔を出してくれたりすると、本当に嬉しくってね。やってて良かった!って思います。体が続く限り店は続けて行こう!と思ってますね。」
優しい笑顔を浮かべながら、駄菓子屋を続けていく気持ちを話してくれたおばちゃんの視線の先に、雑誌・新聞に掲載された記事と、子供達が「おふじ」のおばちゃん・おじちゃんに送った感謝の手紙・絵がビッシリ張られていました。
それに気付き、食い入る様に読む筆者に対してのおばちゃんの言葉。
「やめられない訳よね(笑)。小さい子供達が一生懸命書いてくれたんだから。その手紙や絵も。全部大切に持ってます。うちの宝物!」
(店の中には子供達からの感謝の手紙や掲載された記事でいっぱい!)
横浜の街を夕焼け小焼けが照らす頃。
おばちゃんに別れを告げ駅へと向かう道すがら、「アイス買っていこ!」 ふと聞こえた声に振り返ると、吸い込まれるように「おふじ」の中へと消えていく子供達の姿・・・
「素敵な駄菓子屋があって、君達は幸せだなぁ・・・」
心の中でそう呟きながら、駅へと踵を向けて急ぐ筆者。
足早な姿とは裏腹に、心の中はホッコリした温かさに包まれているのでした!
「高村富二商店」アクセス
JR根岸線「山手駅」徒歩3分
神奈川県横浜市中区大和町2-50
待ち合わせ場所いつもの、桜木町に君はもう来ない・・・・(ゆず「桜木町」より)
幕末と、変わらぬ凪の、水時雨。
史跡や博物館が多い関内・馬車道・みなとみらい地区で文明開化に思いをよせて、ハレの日には「横浜中華街」で外食!
本牧・山手のお嬢様方、元町・新山下・伊勢佐木町でしっぽりデートはいかが?
浜風に洗練された区域に人口約15万人が居住し、新横浜地区と共に横浜2大都心(ツインコア)に数えられる恋人も濡れるシャレオツな街角。
(今回はJR山手駅すぐそば。大和町商栄会の駄菓子屋物語!!)
(長崎とまでは行かないが、坂や階段が多い横浜の町並み!)
今回紹介する駄菓子屋は昭和23年(1948年)創業。
JR根岸線の「山手駅」そばにあり、歴々の山手っ子達から「おふじさん」とか「おふじ」と親しみを込めて呼ばれ続けている駄菓子屋「高村富二商店」です。※以下「おふじ」
(地元では知らぬ人のいない有名店「おふじ」。いいね~)
戦後すぐの創業当時。
それは、駅より続く「大和町商栄会」がまだ産声を上げていなく、店自体も少なかった時代。
食料品を筆頭に、駄菓子・文房具・玩具などを扱うお店だった「おふじ」は、地域の、とりわけ子供達の社交場・オアシスとして一大人気スポットとなり、そのニックネームと共に店への限りない愛情は子世代から孫世代へと、地域の中で脈々と受け継がれています!!
そうそう。
「おふじ」とは、先代(初代)のおばちゃんの名前からつけられたニックネーム!
誰が呼び始めたかはわかりませんが、いいですね~
子供達を愛し、子供達に愛された先代が築いた土台。
それを大切に温め、発展させてきた2代目のおばちゃん・おじちゃんと子供達(かつての子供含む)。
それらがMixされ、「おふじ」店内に充満する優しい温もりは創られているのでしょう。
(広い店内。キレイに陳列されている駄菓子を見てるだけでウットリ!)
(アイスやジュースも充実のラインナップ!子供も大人もひっきりなし!)
おばちゃんに色々な話を聞かせてもらいました。
戦争の事、市電しか通っていなかった頃の歴史、駄菓子・駄玩具の変化や、子供達の事など。
その最中、毎日の様に訪れる腕白盛りの子供達を筆頭に、かつては駄菓子・今はタバコを買いに来る常連さんや、初々しい母子に、部活帰りの中学生達など、ひっきりなしに店内に入っては買い物をしていくお客さん達。
皆、それぞれがおばちゃんと会話して、「またね~」と言いながら店を出ていく・・・・・
そんな姿がとても印象的でした。
(大人だってかつては「子供」だったよね!それを思い出すね~)
(ガンプラ・ミニ四駆も完備!掘り出し物が見つかるかもね!)
「毎日来てくれる子供達。それと、私が嫁いでくる前からここの常連だった子、と言っても今じゃおじいちゃんだけど(笑)も来てくれるし、進学・就職や結婚で引っ越していって、今遠くに住んでる子がたまにヒョイと顔を出してくれたりすると、本当に嬉しくってね。やってて良かった!って思います。体が続く限り店は続けて行こう!と思ってますね。」
優しい笑顔を浮かべながら、駄菓子屋を続けていく気持ちを話してくれたおばちゃんの視線の先に、雑誌・新聞に掲載された記事と、子供達が「おふじ」のおばちゃん・おじちゃんに送った感謝の手紙・絵がビッシリ張られていました。
それに気付き、食い入る様に読む筆者に対してのおばちゃんの言葉。
「やめられない訳よね(笑)。小さい子供達が一生懸命書いてくれたんだから。その手紙や絵も。全部大切に持ってます。うちの宝物!」
(店の中には子供達からの感謝の手紙や掲載された記事でいっぱい!)
横浜の街を夕焼け小焼けが照らす頃。
おばちゃんに別れを告げ駅へと向かう道すがら、「アイス買っていこ!」 ふと聞こえた声に振り返ると、吸い込まれるように「おふじ」の中へと消えていく子供達の姿・・・
「素敵な駄菓子屋があって、君達は幸せだなぁ・・・」
心の中でそう呟きながら、駅へと踵を向けて急ぐ筆者。
足早な姿とは裏腹に、心の中はホッコリした温かさに包まれているのでした!
「高村富二商店」アクセス
JR根岸線「山手駅」徒歩3分
神奈川県横浜市中区大和町2-50
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。