愛知県瀬戸市。
陶磁器自体を「瀬戸物」と呼ぶようになって幾星霜・・・・
陶磁器界の最高級ブランド・日本六古窯に名を連ねる「瀬戸焼」の故郷にして、筆者もファンである瀬戸朝香さんの故郷(芸名の由来)。
悠々流れる風光明媚な瀬戸川(矢田川の支流)の渓谷に抱かれた市内全域を、官民一体となって博物館に見立てる「せと・まるっとミュージアム」を展開、名古屋からのアクセスも良好な約13万人の人口を擁する、ゆっくり観光したい東海の美しき町。
(名鉄線・尾張瀬戸駅近く。町歩き好きには堪らない風情・・)
(名所・窯垣の小径の素晴らしき景色。一度は行くべし!)
今回紹介しますは、創業85年(2016年現在)の歴史をもつ駄菓子屋。
代々の瀬戸っ子達に親しみを込めて継承される「すけさ」と言う愛称と、郷土の誇りと言っても過言ではない激ウマな「たません※」が有名。
瀬戸の名店「早川商店」です!
※えびせんの上に溶いたタマゴをお好み焼きソースで和えた逸品。
(さすが「瀬戸物」の本場。風格が漂う店構え。いいね!!)
(窯垣の小路に訪れる旅人よ!東海のオアシス「すけさ」にぜひ!)
瀬戸は日暮れて夕焼け小焼け(夕波小波は別の地方)の時分、ふらりと立ち寄った筆者。
出張終わりでスーツ姿。
そんな筆者をみて、「昔通ってくれた子が、立派になった姿を見せに来てくれたのかと思った(笑)」と、おばちゃん。
立派になっただなんて、そんな~。嬉しいじゃないっすか!!
根が単純なもので、超絶に気を良くしたところで筆者、有名な「たません」をずっと食べたかった事と、駄菓子屋を巡って色々と勉強させてもらっている事をおばちゃんに伝えると、優しい笑顔を更に崩して「そうかい。そうかい。ウレシイ事もあるもんね! 本当によう来てちょうた。たません、すぐ作るから座って待ってて」と、心地よい尾張弁(瀬戸弁?)で歓迎してくれました。
(豊富な駄菓子の種類。甘いのからツマミになるものまで!)
今年(2016年現在)85歳になるおばちゃんと、奥から出て来てくれたベストパートナーである86歳になるおじちゃん。
御二人に歓迎して頂き、本当に嬉しかったです!
創業はおばちゃんの祖母だという由緒正しき店の歴史から、瀬戸物の町⇒名古屋市のベットタウンへと変化していった慕情、子供達との交流、「たません」を食べに来てくれるかつての子供達や旅人達の事(芸能人も多く来店しています)の事を教えてもらいました。
その間、「たません」を一心不乱に貪っていたのは言うに及ばず・・・
本当に激ウマ!!!でしたYO!
(これぞ伝説の「たません」。80円也。究極の形・味に感涙!)
瀬戸焼の創始者の名跡である「加藤」姓と、それに準じる「水野」姓が多いといわれる「窪垣の小路」 近くの「すけさ」には、実際の瀬戸物を扱っていて(購入可能)、駄菓子だけではなく直に手を取り瀬戸物と間近に接する事が出来ます。
「駄菓子の仕入れは名古屋の西区まで。姪っ子がね、車で連れて行ってくれるんですよ!」
楽しそうに、嬉しそうに、初対面の筆者にも色々と話してくれたおばちゃん。
中でも筆者がとても感じ入ったのが、おじちゃんと二人で「体が元気な内は店をやり続けたい!」と言う強い決意でした。
(店の半分は実際の瀬戸物が置かれているぞ!勉強になるね~)
瀬戸生まれ瀬戸育ちのおばちゃん。
かつてはこの周辺だけでも5軒あった駄菓子屋も、今や昔の物語。
「続けていきたい理由・・・。少なくなったとは言え毎日来てくれる子供達もいます。それと、「これだよ、これ!」ってね。自分の子供を連れて来て、一緒になって駄菓子とたませんを食べてくパパとか。もちろん、貴方みたいに遠くから訪ねて来てくれる人の為にも、無くなっちゃった他の駄菓子屋の為にも、ね。」と、優しい微笑みを滲ませながら胸の内を話してくれました。
(駄菓子屋を続ける理由。それは子供達と紡ぎ続けた「絆」!)
「電車まで、少し時間あるかい?」
陽も沈みかけた頃、そろそろ店を後にしようとする筆者に、「せっかくだから窪垣の小路を観て行きなさい。どうせ帰り道だからさ」と、自ら小路の案内を買って出てくれたおばちゃん。
名ガイドさながら、史実と自身の経験則を踏まえて話してくれている、その背中を見ながら、「いつまでも二人御元気で店に立ち続けてください・・・本当にありがとうございました」と、かたじけなさに涙こぼるる(詠人・西行)状態に陥っていました。
瀬戸を訪ねし旅人へ。
観光+1。
最高のおばちゃん・おじちゃんの笑顔、そして極上の「たません」を味わいに「すけさ」に行かれる事をお勧めしますYO!
「早川商店(すけさ)」アクセス
愛知県瀬戸市仲洞町15
名鉄瀬戸線「尾張瀬戸」駅 徒歩10分
陶磁器自体を「瀬戸物」と呼ぶようになって幾星霜・・・・
陶磁器界の最高級ブランド・日本六古窯に名を連ねる「瀬戸焼」の故郷にして、筆者もファンである瀬戸朝香さんの故郷(芸名の由来)。
悠々流れる風光明媚な瀬戸川(矢田川の支流)の渓谷に抱かれた市内全域を、官民一体となって博物館に見立てる「せと・まるっとミュージアム」を展開、名古屋からのアクセスも良好な約13万人の人口を擁する、ゆっくり観光したい東海の美しき町。
(名鉄線・尾張瀬戸駅近く。町歩き好きには堪らない風情・・)
(名所・窯垣の小径の素晴らしき景色。一度は行くべし!)
今回紹介しますは、創業85年(2016年現在)の歴史をもつ駄菓子屋。
代々の瀬戸っ子達に親しみを込めて継承される「すけさ」と言う愛称と、郷土の誇りと言っても過言ではない激ウマな「たません※」が有名。
瀬戸の名店「早川商店」です!
※えびせんの上に溶いたタマゴをお好み焼きソースで和えた逸品。
(さすが「瀬戸物」の本場。風格が漂う店構え。いいね!!)
(窯垣の小路に訪れる旅人よ!東海のオアシス「すけさ」にぜひ!)
瀬戸は日暮れて夕焼け小焼け(夕波小波は別の地方)の時分、ふらりと立ち寄った筆者。
出張終わりでスーツ姿。
そんな筆者をみて、「昔通ってくれた子が、立派になった姿を見せに来てくれたのかと思った(笑)」と、おばちゃん。
立派になっただなんて、そんな~。嬉しいじゃないっすか!!
根が単純なもので、超絶に気を良くしたところで筆者、有名な「たません」をずっと食べたかった事と、駄菓子屋を巡って色々と勉強させてもらっている事をおばちゃんに伝えると、優しい笑顔を更に崩して「そうかい。そうかい。ウレシイ事もあるもんね! 本当によう来てちょうた。たません、すぐ作るから座って待ってて」と、心地よい尾張弁(瀬戸弁?)で歓迎してくれました。
(豊富な駄菓子の種類。甘いのからツマミになるものまで!)
今年(2016年現在)85歳になるおばちゃんと、奥から出て来てくれたベストパートナーである86歳になるおじちゃん。
御二人に歓迎して頂き、本当に嬉しかったです!
創業はおばちゃんの祖母だという由緒正しき店の歴史から、瀬戸物の町⇒名古屋市のベットタウンへと変化していった慕情、子供達との交流、「たません」を食べに来てくれるかつての子供達や旅人達の事(芸能人も多く来店しています)の事を教えてもらいました。
その間、「たません」を一心不乱に貪っていたのは言うに及ばず・・・
本当に激ウマ!!!でしたYO!
(これぞ伝説の「たません」。80円也。究極の形・味に感涙!)
瀬戸焼の創始者の名跡である「加藤」姓と、それに準じる「水野」姓が多いといわれる「窪垣の小路」 近くの「すけさ」には、実際の瀬戸物を扱っていて(購入可能)、駄菓子だけではなく直に手を取り瀬戸物と間近に接する事が出来ます。
「駄菓子の仕入れは名古屋の西区まで。姪っ子がね、車で連れて行ってくれるんですよ!」
楽しそうに、嬉しそうに、初対面の筆者にも色々と話してくれたおばちゃん。
中でも筆者がとても感じ入ったのが、おじちゃんと二人で「体が元気な内は店をやり続けたい!」と言う強い決意でした。
(店の半分は実際の瀬戸物が置かれているぞ!勉強になるね~)
瀬戸生まれ瀬戸育ちのおばちゃん。
かつてはこの周辺だけでも5軒あった駄菓子屋も、今や昔の物語。
「続けていきたい理由・・・。少なくなったとは言え毎日来てくれる子供達もいます。それと、「これだよ、これ!」ってね。自分の子供を連れて来て、一緒になって駄菓子とたませんを食べてくパパとか。もちろん、貴方みたいに遠くから訪ねて来てくれる人の為にも、無くなっちゃった他の駄菓子屋の為にも、ね。」と、優しい微笑みを滲ませながら胸の内を話してくれました。
(駄菓子屋を続ける理由。それは子供達と紡ぎ続けた「絆」!)
「電車まで、少し時間あるかい?」
陽も沈みかけた頃、そろそろ店を後にしようとする筆者に、「せっかくだから窪垣の小路を観て行きなさい。どうせ帰り道だからさ」と、自ら小路の案内を買って出てくれたおばちゃん。
名ガイドさながら、史実と自身の経験則を踏まえて話してくれている、その背中を見ながら、「いつまでも二人御元気で店に立ち続けてください・・・本当にありがとうございました」と、かたじけなさに涙こぼるる(詠人・西行)状態に陥っていました。
瀬戸を訪ねし旅人へ。
観光+1。
最高のおばちゃん・おじちゃんの笑顔、そして極上の「たません」を味わいに「すけさ」に行かれる事をお勧めしますYO!
「早川商店(すけさ)」アクセス
愛知県瀬戸市仲洞町15
名鉄瀬戸線「尾張瀬戸」駅 徒歩10分
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。