2016年9月。
おばちゃんの訃報を拝受いたしました・・・・
「みんな我が子我が孫と思っています」
と、多くの鳥栖の子供達を見つめ続けてきたおばちゃん。
そのお姿を見て育った子供達から本当に愛されており、等ブログを見てくださった人からも「本当に大好きだった。」とか、「町の宝でした」との連絡を頂きました‥
本当にお疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。
以下・過去記事(2016年)
茨城県神栖市。
東に臨む鹿島灘(太平洋)と、西に臨む大利根の間が我等のフィールド。
隣接する鹿嶋市・潮来市・鉾田市・行方市と共にJリーグ創設以来の雄・鹿島アントラーズのホームタウンにして、全国有数のサッカーグラウンド(70面以上)を有する、サッカー合宿のメッカ。
鹿島臨海工業地帯は、香取神宮・鹿島神宮と共に由緒正しき東国三社に数えられる鳥栖神社(神栖市観光協会HP)の灯りの元に大いに発展。
県下最東南端(千葉県銚子市と隣接)、人口約9万4千、美しき潮騒が響く町。
(神聖なる鳥栖神社。一度は行きたい由緒ある東国三社なり)
今回紹介する駄菓子屋「山崎商店」は、初詣にぜひ行きたい神聖なる鳥栖神社のそばにあり、戦前(当時はお茶屋」より続く歴史ある駄菓子屋です。
(鳥栖神社のそば、まさかの場所にある素敵な駄菓子屋)
茨城県下で最も古いと称され、噂には聞いていた「山崎商店」。
鳥栖神社の側面を歩きながら、その仄かな明かりを認めた際、遠く太平洋上から鹿島港の灯台を見つけた漁船が如くホッと安堵。
扉越しに見える大量の駄菓子・駄玩具の群れを目のあたりにし、筆者のハートに潜む駄菓子探知機が激しく波打っていたのは言うまでもありません。
(この間口に、この駄菓子。興奮しない方がおかしいでしょ!)
(配置一つとっても駄菓子達が大切に扱われているのがわかるね!)
「東京から!!わざわざ遠い所までお越しくださって・・・・ゆっくりとしていってください」と、ニッコリしながら言ってくれた昭和8年(1933年)生まれのおばちゃん。
お言葉に甘えてとばかりに、神栖周辺の歴史・移り変わりや、子供達の駄菓子趣向の変化、エピソードなど多岐に渡る駄菓子屋今昔物語を聞かせてもらいました。
「子供達は一人ひとり、性格が違うんです。誰一人として同じ子はおりません。だからずっと子供達を怒らない様に気をつけて来ました。傷つく子が一人でもおったらいけない・・・ってね。」
おばちゃんの話の中で終始溢れていたのは、新旧の息栖っ子達への深い愛情。
感動しまくりでしたね、本当に。
(10円ゲームは未だ健在!ラーメン類は中学生がスーパー重宝)
(計3台の10円ゲームが絶賛稼働中。ああ、いとたのし!)
部活中に、「あんこ玉」を先輩の分まで買いに来たけど売り切れていて、トボトボ帰っていた野球部員For中学生。⇒(季節商品+生産が植田製菓1社のみの為、潤沢に無いのYO・・・)と先輩達におばちゃんがナイスフォローして事なきを得た話や、自分のだけではなく他の子が買う駄菓子もおばちゃんと一緒に数えて計算を覚えていった女の子の話を、楽しそうに話してくれた後にポツリと言ったおばちゃんの愛情に満ちた言葉が特に心に響きました。
「うちにきてくれる子達は、みんな我が子・我が孫みたいなモンです。」と。
(あんこ玉のエピソード。ナイスフォローのおばちゃん!)
おばちゃんの深い愛情は、「山崎商店」に通い巣立っていった多くの世代に届き、各人がおばちゃんに対して特別の想いを育んできました。
以前、店に泥棒が入った時の事・・・
その際の金銭的被害も大きいものでしたが、それ以上に大きかったのが心に受けた傷・・・・
「もう店も何もかもやめてしまおう・・・。」
精も根も尽きかけ、そう思って憔悴しきっていたおばちゃんを救ってくれたのは、かつて店で駄菓子を買い・笑い・成長して巣立っていった、あの日の少年・少女達でした。
「おばちゃん、俺達がついてるから心配するな。」
「ご飯は私たちが作ってきたから、大丈夫。」
「大変なのはわかってる。だけど、何でもするから、店を続けてくれないかな・・・」
近隣在住の人、すでに地元を離れていた人。
各世代の「かつての子供達」が代わる代わるに訪れては、おばちゃんを元気づけてくれたそう。
「泣く訳にはいかないから、堪えたけど。心の中ではみんなに手を合わせてた・・・ありがとう。ありがとう・・・・ってね。」
「だから体が続く限りは店を続けたいです・・・」と少し涙ぐみながら話すおばちゃんを見て、徐々に目頭が熱くなるのを抑えながら、地域コミュニティの中で駄菓子屋が持つ貴重な意義を改めて感じるのでした・・・・
「遠い場所だけど、機会があったら今度は子供さんも連れてきな。そして、これは子供さんにお土産ね」と、別れ際に手渡してくれた「あんこ玉」と温かい言葉。ありがたく胸に刻み付けておきます!(あんこ玉は、子供に食べさせる前に一瞬で我が胃袋の中に入ってしまいました・・・ごめんなさい、おばちゃん。)
神聖なる息栖神社と、親愛なる「山崎商店」。
二つを巡れば御利益はもちろんの事、元気と優しさまでもフルチャージされる事、間違いないでしょう!
「山崎商店」アクセス
茨城県神栖市息栖2881
おばちゃんの訃報を拝受いたしました・・・・
「みんな我が子我が孫と思っています」
と、多くの鳥栖の子供達を見つめ続けてきたおばちゃん。
そのお姿を見て育った子供達から本当に愛されており、等ブログを見てくださった人からも「本当に大好きだった。」とか、「町の宝でした」との連絡を頂きました‥
本当にお疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。
以下・過去記事(2016年)
茨城県神栖市。
東に臨む鹿島灘(太平洋)と、西に臨む大利根の間が我等のフィールド。
隣接する鹿嶋市・潮来市・鉾田市・行方市と共にJリーグ創設以来の雄・鹿島アントラーズのホームタウンにして、全国有数のサッカーグラウンド(70面以上)を有する、サッカー合宿のメッカ。
鹿島臨海工業地帯は、香取神宮・鹿島神宮と共に由緒正しき東国三社に数えられる鳥栖神社(神栖市観光協会HP)の灯りの元に大いに発展。
県下最東南端(千葉県銚子市と隣接)、人口約9万4千、美しき潮騒が響く町。
(神聖なる鳥栖神社。一度は行きたい由緒ある東国三社なり)
今回紹介する駄菓子屋「山崎商店」は、初詣にぜひ行きたい神聖なる鳥栖神社のそばにあり、戦前(当時はお茶屋」より続く歴史ある駄菓子屋です。
(鳥栖神社のそば、まさかの場所にある素敵な駄菓子屋)
茨城県下で最も古いと称され、噂には聞いていた「山崎商店」。
鳥栖神社の側面を歩きながら、その仄かな明かりを認めた際、遠く太平洋上から鹿島港の灯台を見つけた漁船が如くホッと安堵。
扉越しに見える大量の駄菓子・駄玩具の群れを目のあたりにし、筆者のハートに潜む駄菓子探知機が激しく波打っていたのは言うまでもありません。
(この間口に、この駄菓子。興奮しない方がおかしいでしょ!)
(配置一つとっても駄菓子達が大切に扱われているのがわかるね!)
「東京から!!わざわざ遠い所までお越しくださって・・・・ゆっくりとしていってください」と、ニッコリしながら言ってくれた昭和8年(1933年)生まれのおばちゃん。
お言葉に甘えてとばかりに、神栖周辺の歴史・移り変わりや、子供達の駄菓子趣向の変化、エピソードなど多岐に渡る駄菓子屋今昔物語を聞かせてもらいました。
「子供達は一人ひとり、性格が違うんです。誰一人として同じ子はおりません。だからずっと子供達を怒らない様に気をつけて来ました。傷つく子が一人でもおったらいけない・・・ってね。」
おばちゃんの話の中で終始溢れていたのは、新旧の息栖っ子達への深い愛情。
感動しまくりでしたね、本当に。
(10円ゲームは未だ健在!ラーメン類は中学生がスーパー重宝)
(計3台の10円ゲームが絶賛稼働中。ああ、いとたのし!)
部活中に、「あんこ玉」を先輩の分まで買いに来たけど売り切れていて、トボトボ帰っていた野球部員For中学生。⇒(季節商品+生産が植田製菓1社のみの為、潤沢に無いのYO・・・)と先輩達におばちゃんがナイスフォローして事なきを得た話や、自分のだけではなく他の子が買う駄菓子もおばちゃんと一緒に数えて計算を覚えていった女の子の話を、楽しそうに話してくれた後にポツリと言ったおばちゃんの愛情に満ちた言葉が特に心に響きました。
「うちにきてくれる子達は、みんな我が子・我が孫みたいなモンです。」と。
(あんこ玉のエピソード。ナイスフォローのおばちゃん!)
おばちゃんの深い愛情は、「山崎商店」に通い巣立っていった多くの世代に届き、各人がおばちゃんに対して特別の想いを育んできました。
以前、店に泥棒が入った時の事・・・
その際の金銭的被害も大きいものでしたが、それ以上に大きかったのが心に受けた傷・・・・
「もう店も何もかもやめてしまおう・・・。」
精も根も尽きかけ、そう思って憔悴しきっていたおばちゃんを救ってくれたのは、かつて店で駄菓子を買い・笑い・成長して巣立っていった、あの日の少年・少女達でした。
「おばちゃん、俺達がついてるから心配するな。」
「ご飯は私たちが作ってきたから、大丈夫。」
「大変なのはわかってる。だけど、何でもするから、店を続けてくれないかな・・・」
近隣在住の人、すでに地元を離れていた人。
各世代の「かつての子供達」が代わる代わるに訪れては、おばちゃんを元気づけてくれたそう。
「泣く訳にはいかないから、堪えたけど。心の中ではみんなに手を合わせてた・・・ありがとう。ありがとう・・・・ってね。」
「だから体が続く限りは店を続けたいです・・・」と少し涙ぐみながら話すおばちゃんを見て、徐々に目頭が熱くなるのを抑えながら、地域コミュニティの中で駄菓子屋が持つ貴重な意義を改めて感じるのでした・・・・
「遠い場所だけど、機会があったら今度は子供さんも連れてきな。そして、これは子供さんにお土産ね」と、別れ際に手渡してくれた「あんこ玉」と温かい言葉。ありがたく胸に刻み付けておきます!(あんこ玉は、子供に食べさせる前に一瞬で我が胃袋の中に入ってしまいました・・・ごめんなさい、おばちゃん。)
神聖なる息栖神社と、親愛なる「山崎商店」。
二つを巡れば御利益はもちろんの事、元気と優しさまでもフルチャージされる事、間違いないでしょう!
「山崎商店」アクセス
茨城県神栖市息栖2881
コメント
コメント一覧 (2)
初コメさせて頂きます。
山崎のばぁちゃんに話を聞いたので、ググらせて頂いてこちらのブログにたどり着きました。
私は、山崎のばぁちゃんの所に25年程通っている地元民です。
こちらのブログのお掛けで色々な所からお客さんが来てくれるようになった。
と、ばぁちゃんが嬉しそうに話をしていました。
私も自分のブログで勝手ながらリンクを貼らして頂きました。(勝手にリンクを貼ってスミマセン。)
今月の7日に2年ぶりくらいにばぁちゃんの所に顔を出してお話しを聞いたので突然ながらコメントさせて頂きました。
そして、悲しいお知らせではあるのですが・・・
先週の20日の日にばぁちゃんが天国に旅立ってしまいました。
管理人さんが知らずにばぁちゃんの所に訪れてもお店が開いて無くてはガッカリしてしまうのではないかと思いまして、ご報告させて頂きました。
コメントありがとうございます。
おばちゃんの訃報を聞き、大変悲しく思います・・・・
山崎のおばちゃん、フィガー様をはじめ息栖の子供達の事を本当に誇りに思っておりました。ブログには書ききれないほどのエピソードを話してくれていました。
おばちゃんの事を、「山崎商店」の事を大切に思う皆さんの気持ちにも感動しています。おばちゃんも天国で、「うんうん。そうそう。」と頷いていてくれる事でしょう。
おばちゃんが当ブログ(手紙にしたためてお送りしました)の事をその様に言ってくださり、私自身、胸に手を当てる事しかしかできませんが、記録に残せたことを誇りに思います!
これからも、心の中で「オラが駄菓子屋=山崎商店」をともし続けてください!
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