千葉県・船橋市。

市立船橋から「全国区」という名のキラーパスを引き継いだ「ふなっしー」人気は今だ絶大!

9つの路線と37の駅がある鉄道王国ながら、慢性的な交通渋滞はかなりのもの・・・
船橋大神宮が見守る市域は、船橋ららぽーと・IKEA船橋などヤングSPOTと、かつての港町・宿場町の面影とが見事共存し、子育てしやすいエリアとして若年世代に人気が急上昇。県庁所在地・千葉市(約96万)に次ぐ、県下NO2の人口約62万を擁する街。
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 (荘厳で神聖。船橋大神宮には船橋駅から徒歩でいけるYO)
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 (船橋市の中心を流れる海老川。船橋の地名・発祥の地)

今回紹介するのは、神聖な船橋大神宮の最寄り駅「大神宮下」からすぐの駄菓子屋。
京成電鉄の電車がガタゴト走る高架下に、2013年にOPENした「大川商店」です。

「OPENじゃないんだな~!復活なんだよね~」と船橋っ子達(祖父母や親世代含む)が口をそろえて言う「大川商店」。
復活とは、どういう事なのでしょうか?
おじちゃん・おばちゃんからの情報も元に、店の歴史を一緒に振り返ってみましょう!
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 (日差しが強い時はシーツで養生。夏は必需品ですね)
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 (うわあー。すごくいい感じ!!外観だけでも見てて飽きないね!)

「大川商店」の創業は、今(2015年現在)から約60年前に遡ります。

元々は、名物「きな粉飴」が人気を博す、飴屋でした。
子供好きだった先代おじちゃん・おばちゃん。店内には駄菓子や駄玩具が置かれる様になり、いつの間にやら駄菓子屋へとクラスチェンジしていき、今より幾分広かった店内・軒先には、いつも子供達の笑顔が溢れ返っていたそうです。

しかし、上記の京成線の高架化に伴う工事により、町の風景も一変。

近所に数軒あった駄菓子屋も無くなってしまい、「大川商店」も惜しまれながらも閉店。今から約10年ほど前の事でした・・・
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 (キレイに陳列される駄菓子。丁寧な仕事ぶりが伺える)

初代の息子であるおじちゃん・優しい笑顔が魅力のおばちゃん。

お母さん亡き後、空き家となっていた思い出深きこの地で「父母がずっと愛していた子供達と駄菓子屋。父母の心を受け継いで、もう一度この場所で駄菓子屋をやろう!もう一度子供達の笑顔を咲かせよう!」と、思いは昔と変わらぬまま、装いを新たに10年の時を経て「大川商店」は復活したのです!
2013年10月の事でした!

うう・・・・なんちゅう良い話なんだ・・・
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(豊富な種類を誇る駄菓子。選ぶ楽しみは今も昔も変わらない)

それから早2年あまり。
今や「大川商店」は、楽しげな子供達の笑顔が咲き誇る、船橋の一大スポットになりました。
多い日には、な・・なんと、100人以上の子供が訪れるそうです。

その中には、先代おばちゃん時代の「大川商店」で多くを学んでいったかつての子供達(父・祖父世代)も含まれます。
孫や子供達と共に懐かしげに駄菓子を選び終えた後、先代との思い出を語ってくれる人もいて、おじちゃん・おばちゃんも思わず胸がジーンとする事もあるそうです。
泣きそうだわ~。
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 (夏の必需飲料「ラムネ」はぜひ飲みたい!ジュースも冷えてるYO)

筆者と話している間も、ひっきりなしに訪れる子供達。
彼らを優しく見つめ、沢山話をする御夫婦。なんて、ふんわりとした良い空間なんでしょう!

「駄菓子屋をはじめ、昔は子育て(教育)を自然と地域一丸でやってたのです。隣近所の人とのあいさつはもちろんの事、怒られるたり褒められたり。偉業を遂げれば我が子のように喜ばれたり、応援されたり・・・と。それを知る我々団塊の世代は休めませんよ。引退後も地域活動を、言うならば駄菓子屋を開く人が増えてもいいんじゃないかな?と思いますね!」とおじちゃん。
若輩ながら、筆者も同意見です。おじちゃん、また熱く楽しく語らいあいましょう!

少子高齢化で悩む日本。
その未来を担う子供達の為、地域の為、そして何より自分達の為に、第二の人生を駄菓子屋に懸けて子供達に寄り添う、温かな御夫婦のいる「大川商店」には、その嫌な閉塞感をブッ飛ばすヒントが隠されているかもしれませんね!

「大川商店」アクセス。
京成本線「京成船橋」・「大神宮下」駅 徒歩5分
JR総武本線「船橋」駅 徒歩7分
千葉県船橋市宮本1-17-1