福島県郡山市。

かつての奥州街道の宿場町は、いわき市・福島市を抑え仙台市に次ぐ東北地方NO2の人口(約32万8千人)を擁する商都へと発展。

市域の西に位置する猪苗代湖と、中央を流れる阿武隈川の清き流れの旋律に洗われて「東北のウィーン」と形容されるほど音楽文化が花開いた、県中央に位置する「中通り」の中核を担う街。
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 (ハイソな雰囲気の「郡山」駅前。さすが「東北のウィーン」)
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 (駅中ではなぜか「案山子」がお出迎え。ダメヨ~ダメダメ)

今回はその郡山市民憩いの公園でもある「21世紀公園」の目の前にあり、公園同様に子供達をはじめ地元の人達の憩いの場所になっている駄菓子屋「えびや」をご紹介します。
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(大きな文字が書かれた青いテントが目印。よく目立つね!)

公園で遊んでいる子供達。
遊びに一区切りが来れば、遠くからでもよく目立つ晴天のような鮮やかなテント目がけて走りこんできます。

筆者が訪れたのは、日も長くなった6月のある夕暮れ時。

家路へ帰る前に「さあ、もう1丁。その前に腹ごしらえだぁ!」と言わんばかりに、「えびや」で買った駄菓子を口中に頬張りながら子供達が公園へとダッシュしていくのと入れ違いの所でした。
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 (こども 駄菓子 アイスクリームいろいろあります!そそられるね)
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 (ジュースもアイスも、もちろん駄菓子も。充実の品揃え!)

「駄菓子屋を回っている??ほう、そんなことしてる人がいるんですね!!ゆっくりと見ていってください!」と、子供と入れ替わりに店内に入ってきた怪しいオッサン(筆者の事ね!)が素性を明かすと、ニッコリ笑いながら迎え入れてくれたおじちゃん。

「えびや」は今(2015年現在)から30年ほど前に創業。
「21世紀公園」の整備に伴い、この地に移ってきてから早12年が経ちます。

駄菓子の他にもタバコ・クリーニングも併設していて、来る客層も子供からお年寄りまでに至り、言うならば老若男女のニーズを満たす守備範囲の広い駄菓子屋なのです。

筆者がおじちゃんから話を聞いてる最中も、子供達以外にもタバコを買いに近所の人が来てはおじちゃんと一言二言楽しそうに談笑から帰って行きました。

世代を超えた多くの人が集まるお店。
おじちゃん、ものすごく郡山の事情通なのも頷けます。

市内に残る駄菓子問屋(駄菓子屋の事も含む)から始まり、近隣の小中学生たちの移り変わりや郡山のプチ情報など多岐に渡り話してくれました。いやー勉強になったなぁ!!
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 (太陽のシーズン。この「アイス」はそそられるわねぇ・・・)

そんな「えびや」には、自転車に乗って他学区の子供達も駄菓子を買いに訪れます。

また、おじちゃん・おばちゃんの元で駄菓子を買い、多くを学んで巣立って行ったかつての子供達が折に触れ、自分の子供を連れて遊び(駄菓子を買い)に来ることも!

「パパは昔ここでなぁ~・・・って話を自分の子供にしている姿を見るとね、嬉しいやら懐かしいやら。昔を思い出しますね。」と頬を緩めておじちゃんは話してくれました。

震災後は、特に親子で買いに来てくれるお客さんが増えた!とも言っていましたね。
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 (昔から変わらない事。計算もそろばんで丁寧に!)

津波・原発問題など、海岸沿い(浜通り)の被害は筆舌に尽くしがたく、中通りをはじめ県域の広くが甚大な被害をこうむった福島県内。
当然、郡山の被害も相当なものでした・・・・・

「もう少し駅の近くではね。家が倒壊したり、お墓がかなり崩れてしまったり・・・。うちの店も地面(コンクリの亀裂)見て分かるでしょ?あんな地震はもうこりごりですなぁ・・」と、筆者が買った駄菓子の値段を巧みにそろばんで計算し終えた後、震災の記憶をそう語ってくれました。

ほんの数年前に起きた、悲惨な震災。
しかし、それを経験したはずの子供達が、駄菓子を選ぶ時・買う時・公園に走って行く時に見せた楽しそうな笑顔。はしゃぎ声。
それを目の当たりにして、「地域の絆」が何たるかを感じ、正直感動しました。(東京の人間として、同じ位の申し訳のなさも感じましたが・・・・)

震災から早4年。
いまだに解決が見えない被災地支援に少しいらだちを覚えながらも、「えびや」の様な地域の核になる駄菓子屋を1軒でも多く廻る事が、自分なりの「被災地支援」だと認識を新たにしました!

「えびや」アクセス
東北本線・磐越西線・東北新幹線「郡山」駅 徒歩8分
福島県郡山市細沼2-5