拝啓  このブログ読んでいるあなたはどこで何をしているのだろう?


「ボールは友達怖くは無いさ」路線のスポーツ少年で、サッカー部にでも入っていてさ。敵の7番のタックルをかわしているのかな?

「天は、人の上に人を創らず」路線の勉強大好き少年で、学問をススメ、中学から私立でさ。エンゼル係数高めな我が家の家計にスカイラブハリケーンを巻き起こしているかな?

「盗んだバイクで走り出す」路線の不良になっててさ、安いダンスホールで小粋な野良猫みたいに不運と踊っちまってる(ハードラックとダンスっちまってる)かな?

「石の上にも部屋で3年」路線に引きこもってたりしてさ、顔も見せてくれなくなってたり。

「脂ギッシュ全開」路線で顔中ニキビ面になっててさ、クレア〇シルを塗りたくったりしてな。(サルファ・レゾルシン処方を侮るな!効果的に治しておくようにな。)

「お前の父ちゃんオタク過ぎ、キモイ」とうしろ指さされ組過ぎて、父よりダークな何かのマニアになってたりしてな。

どんな感じに成長しているか?今では想像すら出来ないけどね。

この記事を書いているのは、徐々に言葉のかけらを発し始めた君が1歳6か月の頃の事。そう、父と母が初めて君を駄菓子屋に連れて行った頃の事。

良く人から聞かれる「なぜ駄菓子屋を巡っているのか?」や「なぜ身銭をきってまで続ける必要があるのか?」という問いに対する父なりの考え。
照れくさいのと、答えが単純じゃないのがごっちゃになり、ストレートに当ブログで書き綴ったことが無かった。

しかしこの場を借りて、息子へ送る形をとり、吐露させてもらおう。
未来の息子に宛てて書くブログなら、きっと素直に打ち明けられるだろう・・・・

15になっているのであろう息子に贈る、或る駄菓子屋研究家の前に1人の父親である漢の想い。

思春期だから鼻クソでもほじりながら、でも心の中では熱い血潮が沸き立つのを抑えながら読んで欲しい。
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まあ、そんな訳で。

今の時代(西暦2015年)でも既に前時代である昭和の「遺産」になり掛けている「駄菓子屋」を捜し歩き、店主から話を聞き、その貴重な役割・薄れゆく雄姿を記録に残し続けている父。


なぜ捜し歩いているかって言うとね。
驚くことにネット全盛になった今でも、情報が少なく見つけるのが超困難だから。
開業するのに法律的しばりが無いため役所やタウンページからも追えず、本業の傍ら副業としてやっていた駄菓子売りが駄菓子屋へと発展していったケースも多い為(~玩具店・~ふとん店・~タバコ店など)屋号からも追えず、長年放置されてたが故に町の中にどれだけ駄菓子屋があるかも、場所も何もかもがわからなくなる前に、後世に記録を残すべく父が立ち上がったって訳。

生まれた時からネット環境が当たり前の君達から見ると「????」って感じだろうけど。
まだこの時代、店内の写真(自身の顔は当然NGね)を撮られる事にもネットに書かれる事にも拒絶反応を持つ店主も多く、傍で見るよりその了承をとることが難しいのが現状なんだよね。
探し当てるのも難しいって事もあるけどね。
だからかな。
駄菓子屋に焦点を絞り、紹介し続けるスタイルのブログは、これだけ昭和レトロブーム爆発時代にも拘らず、日本中を探しても父しかやっていない(出来ない)のだよ。
そこにレアメタル的希少性が見いだせるわけだ。

しかしだ、逆に言うと。
オンリーワンとはナンバーワンの事。
学ぶべく・追いかける背中も、追われるプレッシャーも、同じレベルのプレイヤー達と切磋琢磨することもできないって、超キツイし大変なことでもあるんだ。
自分が正しいかも実はわからんし、「ライバルは自分自身です!」なんて言ってる奴の気持ちが少しわかるし。ほんの少しだけど。
Ahh。負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうなオサーンは、誰の言葉を信じていいの?ってね、思うわけ。

でもね、この歩みと執筆を止めた時点で、駄菓子屋文化の今を伝える道が大きく後退(消滅)してしまう事は間違いないから。
Ahh。負けないで、泣かないで消えてしまいそうな時は、自分の声を信じ歩けばいいの!と、自分を奮い立たせ、今を生きているって算段よ。

駄菓子屋を巡って、話を聞くたびに心の底から自然とわいてくる感情(声)。

ただただ、駄菓子屋のおじちゃん・おばちゃんに感謝の言葉を伝えたくて。
ただただ、彼らに彼等ががしてきた素晴らしい事を誇りに思って欲しくて。

その感情をエクスプロージョンさせ続けよう。見つけ続け、書き続けよう。
5年後.10年後、この素晴らしき文化の芽が消えてなくならないように・・・・・

父のしている事は「誰の真似をせず、誰からも真似してもらえない」路線。
さしずめ、JRで言えば八高線みたいな存在か?
このマニアック感。別の意味でほんの少しだけ誇ってもらいたいぞ、息子よ。
ところで、八高線は未来でもバリバリだよね?走りまくってるよね?

まあ、こうは言ったけどさぁ・・・・・
君のお母さんからは、5・7・5風に言えば「子育てを・もっとやってYo・※※※※※」(想像に任せよう・・)と怒られては、いつもビクビクしている。

外で父は男一生の仕事と胸を張り、そのくせ内ではコソコソと駄菓子屋探しの冒険を繰り広げているって訳なのですYO。君もいずれは通る道。覚悟はその時に決めYO。

ところで。
君が読んでるであろう2030年頃の未来には、まだ駄菓子屋は残っているかい?
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残っていないとしたら・・・・
いや、残すべく暗躍しているのが父だったな。これだけ大風呂敷広げといてな・・・スマン。

大人に干渉されない遊び場で。
子供達だけの独自のルールが存在し、社会生活の基礎中の基礎を学べた寺子屋の様な存在で。
親や先生にいえない事(恥ずかしい事・自慢話など)を聞いてくれ、相談にのってくれる店主(おばちゃん・おじちゃん)の温もりがタップリで。
同級生達と過去を肴に酒を酌み交す時、話題の中心になりうる、地元のランドマーク的存在で。
それが昭和といわれた時代、かつての父も通っていた頃の駄菓子屋の持っていた魅力で。

課題先進国と揶揄される2015年の今は、さらに道徳・防犯・予防介護(子供と日々接することによるボケ防止作用)の観点からも見直され、実は多くの社会問題を解決する可能性を秘めたスポットだったのではないか?今の時代に必要なすべてが内服されているんじゃないか?「効いたよね早めのダガシヤ」なんジャマイカ?と、少し感度の高い人達に重要性が伝わり始めているって訳だ。

今残る駄菓子屋には、近隣の子供達が自発的に贈った「感謝状」なるものを飾っている店を多々見受ける。
利益度外視で、自分たちの為に店を辞めないでいる事を子供達はうすうす気づいている。
子供達が店主に対して持つ「ありがとう」と「やめないで」の想いが重なって出来た勲章だ。
それを自身の「宝物」と称する店主に出会う度、父は思わず泣きそうになる。

世のため人のため、最近の決まり文句「未来を担う子供達のため」をガンガン言って当選しちゃった政治家(ほぼ全てだね)の中で、子供達からこうした「感謝状」の類をもらった人は果たして何人いるのであろうか?
子供達に「やめないで」と言われている人は果たして何人いるのであろうか?

もっとも最近は精力的な地方議員が増えてきているから期待はしている。
少なくとも地方議員はさ、町を一番良く知っている駄菓子屋のおじちゃん・おばちゃんを巡り、町のミクロの部分の話をもっと聴いて、マクロな政策に活かしたら?
政治家はフィールドワークを自身の選挙区全体(路地なども隈なくな)にもっとするべきだよ。

と、若き日の父は多方面に向かい駄菓子屋の重要性を、ソフトタッチに説き続けているんだ。

そんな父の心に掲げた旗印は「駄菓子屋文化を世界遺産に!」。
庶民の道徳文化全般=駄菓子屋に投影させ、複雑で多面的な社会問題を解決する糸口にならんものか・・・真剣に模索しているんだよ。

そんなこんなで、最近では海外からの読者も増えてきて、少しビビッてるんだよ。
まあ、ただ単に駄菓子屋の雰囲気に「Wow!! Dagashiya(Dagashi) Cool!!!」なノリの奴等なんだろうけど、「Dagashiya」は未来で世界共通語として定着しただろうかね?

海外ついでにもう一つ。

これからの日本に必要なのは、グローバル人材(なにができる人なのかサッパリわからん・・・)とか、早い時期からの英語教育でもなく、歴史・文化は勿論のこと、君たちの直接の先祖(祖父母や父・母もだぞ)を尊重し、自分の考えを自分の頭でキチンと整理して自分の言葉で話せる人にする教育(空気を読むのは選択肢の一つ。全然悪い事ではナイチンゲール)だと思っていてね。
それが出来て初めて、他国の文化を尊重出来るし、英語という共通語を学ぶ資格をGet出来、なんだかわからんがグローバル人材(?)になる資格を得れると思っているのよ。

今の時代、いい大人達が日本の良き部分を忘れ去り、教えようともせず、「グローバルだから」という意味不明な底なし沼に足を入れ、「英語・英語」言っている田吾作以下のその姿に、超・危機感を募らせているんだよね。
官庁に赴き浣腸かましたい位だ。とっ捕まるから口だけにしとくがな。

子供の頃から君のババ・ジジに「宗教と政治の話は人前でしない様に」と躾けられてきたから、15年後に向けてとはいえ、これ以上派手に書くわけにはいかんから辞めとくわ。政治的な内容は。
英語の件にしても、君達が大人になる頃は耳につけて会話するだけで世界中どの言語とも同時通訳可能な「通訳マシン・ターボ君」が出来てるだろうし。
つうか、日本の家電メーカー様々。大至急そういうの造って!!(落ち着け。父の心の叫びだ。)
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さて。
父が駄菓子屋を探す方法。それは3割がネットや人からの情報を基に突撃。7割は自分の足で探しあてる。超アナログだろ?君が読んでいる時代にそもそも「探す」なんて行為残っているだろうか?

でもね、実はこの「探す」という行為自体が、自分を半端なくレベルアップさせてくれるんだよね。結構痩せるし。
狭い町の中、1日延べ20~30km歩いて⇒見つけた駄菓子屋ただ1軒⇒話は聞けるも撮影拒否。
なんてこともあったりしてなぁ・・・・

幾度も職質の嵐を乗り越え(辱めに耐え、よく頑張った。感動した。おめでとう!!!ってなんのこっちゃ・・・)、苦労したからこそ、各地に多くの知己を得ることが出来た。仲間が出来た。

幼き頃に通った駄菓子屋の幻影を追い求め、父と同じ様に「駄菓子屋文化」の可能性に着目し、自分達で駄菓子屋を立ち上げる人達(父は「駄菓子屋ニューウェーブ」と呼んでいるが)も登場。
彼らとは「南総里見八犬伝」の「同じ玉を持つ同志」のような感覚でつながっている。(滝沢馬琴の原本は難しいかもしれんが、深作監督の映画版は見ると良いぞ!)

君が初めて行った駄菓子屋もそんな同志の店。
しかも、その同志が一人ではなく、家族みんなが同志!なんだ。スゴイだろ?

その店の名は「まぼろし堂」。
千葉県の八千代市にある懐かしさと思い出を大切にしている駄菓子屋だよ。

本当に素敵な家族で、父も母も大好きな駄菓子屋なんだ。
他界されたおじちゃんの願い「日の本一の駄菓子屋」になる事を目指し、家族や仲間と一丸となって突っ走るスタイル。
その姿にいつも父は勇気づけられ、活力をもらっているんだ。
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「息子の初めての駄菓子屋になってくれるかな?」と父。
「いいとも~」と笑顔で応えてくれた「まぼろし堂」の皆々様。

その機会が叶ったのは、まだお雛祭りの前で、少し寒い春の日の事。

君は覚えていないだろうが、敷地内から大はしゃぎで。
やっとこさ一人で歩ける様になった君は、入口から店内に勇んで入ろうとして、こけて大泣き。「大丈夫か?」と父・母を心配させやがって。次の瞬間ケロっとしててYO。

その日。
敷地内ではお雛祭りのイベントを控え、何人もの大人がてんやわんやで準備に明け暮れていてね。
その眼差しは真剣そのもの。
そして、一段落した時の皆の笑顔は最高そのもの。本当にカッコよかったYO。
こどもの日 まぼロック」 は今日、5月5日のハイパーイベント。いつかは父も君を連れて行く、覚えているかな?


と、まぁ、こういう訳だ。
青春街道まっしぐら!脛毛やあそこの毛が少し生えそろってきた君へ。

ここまで長々、くどくど、書き続けて来たので、せっかくだから、もう少し父の想いを書き記しておこう。「えーーもう勘弁。マジでウザい・・・」とは言わせん。父の小言だ。

「ありがとう。ごめんなさい。こんにちは(おはよう・こんばんは)。」この3つが出来れば、人生は上々だ!

渡る世間は鬼ばかりなれど、上記の3つがキチンと出来ていれば大丈夫。なぜ大丈夫かというと、想像以上にこの3つが出来る大人が少なくなってしまったからなんだよね。
しっかりとするようにな。でも上辺だけはダメ。真心を込めてあいさつすれば仲良くなり、謝罪すれば気持ちが伝わろう。

父は君にこの3点だけは厳しく躾けるつもりだ。あとは「ワンパクでもいい。逞しく育ってほしい」的に細かい事は言わず陰で見ている事にしよう。
あとは近所の駄菓子屋に通っていれば、知らず知らずのうちに身についているもの。父のブログの題名にもある「大切なこと」とは、この事と心得よ!

「勉強とは学問だけにあらず。」全てが勉強、学びまくれ!

ゲームもマンガも映画もテレビも。友達と遊ぶ事も。実はスポーツだってそう。乗りテツになろうと、もちろん図書館行って本読む事も勉強机にかじりつく事も。駄菓子屋や平成の遺産を巡る事だって。
すべてが等しく大切な勉強なんだと思って取り組んで欲しい。

そうは言っても、「ゲームばかりして(怒)」とか「なんだこの点は!(怒)」とか、小さくて仕方ない事で父(母含む)に怒られる事があったならば、それはバランス配分の問題だと思え。そうせせこましくしない様に父も気を付けていこうと思うYO。

余談だが、父は歴史の知識はほぼ90%マンガから得たぞ。
今は駄菓子屋のおじちゃん・おばちゃんから聞く話を、父史上最高の活きた勉強だと思ってるしな!

「母親を大切にしろ」これはガチね。

君が生まれて初めて知った。母親という仕事以上に大変かつ偉大かつ難しい仕事を父は見た事が無かった。
君が先日「クソババア!!」と罵声を浴びせた(言った事無いなら、言うなよ)君の母は、1年間それも24時間ずっと君に寄り添い、睡眠時間と文字通り「命」を削って君を育ててきたんだよ。

男はさ、ずるいもんで。
父はよく「仕事で・・・」とか「お客さんと・・・」なんて言い訳をして飲みに行ったり、週末に駄菓子屋巡りさせてもらったりしてたけど、君の母はずっと君の傍に寄り添っていたんだよね。
君が生まれて、初めて父もバアバに超感謝しちゃったよ。そういう意味でね。

今の内は、心のどこかにしまっておいて反抗していいけど、一通り済んだら感謝の想いを以て大切にせよ!

と、長々とありがとう。

初めて君を抱いたとき、父と同じ位に眉毛が太く、思わず「プッ・・・」と吹き出してしまったが、君なら大丈夫だ!
なんてったって、父と母の息子なんだから!

最後にアンジェラ・アキの「手紙~拝啓一五の君へ~」の一部分を以て、結びに変えさせてもらうよ。

「人生のすべてに意味があるから。恐れずにあなたの夢を育てて」と。
Keep on Believing(信じ続けてYO)と。

拝啓 このブログ読んでいる息子が幸せな事を願います・・・・・