高度経済成長期を頂点に、かつて町中に多く存在した駄菓子屋。
それはまさに「昭和」そのものだった。
かつて世界中を席巻した日本株式会社の原動力は、幼少期に「心の原風景」である駄菓子屋で培った不文律の掟の賜物と言っても過言ではなかろう・・・


駄菓子屋を巡り、その貴重な役割を記録に残すべくラ・マンチャなブログを起ち上げ、じきに3年になる。(平成26年現在)
ホームタウンである東京の片隅・下町エリアを皮切りに(と言っても網羅している訳では全くない・・・)、広く関東・東海・関西にある200軒近くの駄菓子屋を訪問してきた。

同じ昭和の香りが漂う銭湯(公衆衛生法を遵守→届出必要。よってタウンページにも記載・役所も把握。)と違い、基本的には法律上の定義が無い駄菓子屋には多くの屋号と形式が存在し、それ故にタウンページにも「駄菓子屋」の項目は哀しいかな、無いのが実情。
ようするに、役所も誰もかもが住んでるエリアにある駄菓子屋の数はおろか、正確な場所すらわかっていない、ああ無情・・・・・レ・ミゼラブル状態なのである。


しかしあくまでそれは町をくまなく歩けば分かる事。
菓子店・タバコ店・文具店・酒店・米店・商店。~屋etcなど。
多くの人が「もう無くなってしまったにでは?」と思っているであろう駄菓子屋は、往年の面影を残しながら姿・形式を変化させ、残っている。


それだけではない。
昭和の駄菓子屋文化を平成の世にMIXし、新たに「町中の駄菓子屋」を志し、起業する若い世代が各地に現れ始めている。
各々が子供だった時代に通った駄菓子屋への想いがその根底を支えているのは言うまでも無い事。

ニューカマーの駄菓子屋に行くと、店主の誰も彼もが子供と同じように目をキラキラさせて話をしてくれる。誇りだけではない。純粋に「楽しさ」を感じてやっていると一目でわかる。

長い不況で苦しむ日本株式会社(広義に日本の企業全般に言えるがね)で働く人の中で、何割の人が同じ目を出来ているだろうか?


こうしたニューカマーの駄菓子屋が出来た町の人はもちろんの事、自分が子供の頃に通った駄菓子屋がまだ残っている人は猛烈に幸せであろう。
無論、独立して実家を後に年に数回の里帰り時にしかその駄菓子屋に行けないであろう事はわかっている。


「子供の頃、ウチに来てくれた子供が結婚して自分の子供を連れて来てくれる事や、社会人になって立派な姿を見せてくれる事。何よりもうれしい」
これは筆者が駄菓子屋で聞いた一番多い内容。駄菓子屋をやっていて良かったと心の底から笑顔で言ってくれる。初めて行った駄菓子屋で思わず「ホロリ」としそうになる。こんな事ほかにあろうか?

少子化・礼儀知らずの大人の増加⇒子供もね。原材料の高騰・消費税8%etc・・・・
多く負の憤りを語って然るべき駄菓子屋のおじちゃん・おばちゃんの口から出る一番多い感想が「成長した子供達との再会の喜び」なのである。(毎日来てくれる現役の子供達が可愛いのは言うに及ばず)

日々の忙しさに感け、あなたは何かを忘れていませんか?

「後ろを振り返らない」とか、「結果が全て」とか。
そうした事は、サッカー日本代表クラス(相当努力している人)が自分を高める為に言う事。
勉強だって後ろを振り返る「復習」が大事でしょ?
振り返らねば、自分自身の生きた軌跡そのものを否定することだと思うがよろし。


しかし当然の事ながら。
成長するにつれ非日常と化す駄菓子屋ライフ。

筆者が読み人へ願う事。
もしも子供の頃に通った駄菓子屋が残っているのなら。
もしも近所に新旧問わず駄菓子屋が残っているのなら。

子供連れでも単独でもタイミングも厭わない、あなた次第。
自動ドアではなく、自分の手で扉を開けて駄菓子屋のおじちゃん・おばちゃん(お兄さん・お姉さん)に会いに行って欲しい。
日本を地域をあなた自身を、影ながら支えてくれていた優しいぬくもりに。

それが願わくば。
当ブログを読んでくれた人に対する筆者の願いである。